39 更紗 さらさ Chintz

 更紗1p00

茜地人物模様 桃源郷?
 
更紗はインドで、紀元前六世紀頃生まれた木綿に捺染された裂地です。六葉茜に明礬や鉄塩で媒染し、明るくって、色が豊富で、模様の多様な素晴らしい布が生まれ、インドから東南アジアか、そして日本へ、また西はヨーロッパに伝わりました。
日本では和更紗も生まれ、友禅や紅型にも影響を与えました。陣羽織や着物にも使われましたが、お茶の文化を通して、掛軸や袱紗などにも使われ、今日も生きています。特に古更紗は貴重な文化遺産になっています。

この古裂帖は50年ほど前、知人の京・河原町の茶道具屋から、あなたには必要でしょうと言われ購入しました。時々楽しんで見ていましたが、より多くの人に中世の織物の素晴らしを見てもらいたくしばらく掲載したいと思います。名称は専門でないので仮につけておきます。時代は分かりません。でもすべて何かに使われた端切れを集めたものですから、大きささも、形もいろいろあって、何に使われたか想像するのも楽しいものです
(2021.12.20)
 更紗1p01
人物模様
 更紗1p06
幾何学模様
 更紗1p帙
古更紗帖(夏秋蔵)
 更紗1p03

巴模様
 更紗1p
更紗帖1頁
 更紗1p02
花模様
 更紗1p05

亀甲模様
 更紗1p04      白地亀甲模様


38 妙法蓮華経観世音菩薩普門品の帙

 帙  裂
 こはぜ(爪)  般若心経

妙法蓮華経観世音菩薩普門品のうち
魔訶般若波羅蜜多心経


特厚の板ボールに絹緞子を貼り、紐に
骨製のこはぜ(爪)をつけて仕上げます。
一つずつ手作りで作り上げました。
この観音経には般若心経もついています。


妙法蓮華経観世音菩薩普門品
 
台北故宮博物院所蔵 明朝版 復刻

  綜芸舎 日本代理店 で販売中!
      詳しくは綜芸舎WEBサイトへ

    

 目次:36いま現代アート35綜芸舎成果34豊国神社拓掛軸33文化財修復32屏風緊急修理31国際博物館会議30装こう師29保存と修理28般若経修復四27般若経修復三26般若経修復二25般若経修復一24クローン文化財23放屁巻合戦 22絵金の修復21屏風の始り 20日本の表装 19時を駆る少女18美術の裏17鳥毛立女屏風16屏風修復15修復いろいろ14土蜘蛛隈取13祇園祭岩山12源氏物語絵巻    11檜図屏風修復 10和紙9夏秋塾 8古書の中落書7襖の裏古文書 6ガ文化財修復5道真掛軸修復 4龍子「鵜」修復3内裏雛軸修復2太巻1雛の絵

37 日の丸掛軸の修復 

 日の丸  日の丸裏
6月末、千葉の生徒さんから、今年亡くなられた父の形見のものを、ちゃんと掛けられるようにしてほしいという依頼を受けました。それも新盆に飾りたいという依頼、あまりのすごい日の丸に、つい引き受けてしまいました。
お父様は第二次世界大戦末期の1943年(昭和18年)学徒出征(大学等に在籍する20歳以上の文科系などの学生を在学途中で徴兵)で東北大学三年生の21歳のとき、中国に出征。その時卒業した神奈川県立横須賀明徳中学校有志の日の丸をもらって戦地に赴きました。持っていかれたかどうかはわかりません。敗戦後シベリアに抑留され、バイカル湖近くの捕虜収容所に囚われ、やっと帰還されました。その旗を家にたまたまあった掛軸の裏に粘着紙に張って、それをビニールで覆って寝室の壁に終生掲げられて、日々眺めておられ、先月98歳でお亡くなりになったとか。どういう思いで飾られ見ておられたか?詳しいことはわかりません。
大学で勉学に励んでおられたのに、一瞬で満足な訓練もなく戦地で戦わされた思い?楽しかった中学校の仲間の励ましを心に、無事帰れたことへの思いなど、いろいろ推測できますが、わたしはただただ終戦記念日にこの旗を修復し納めることが、第二次大戦で多くの亡くなられた方への鎮魂だと思い仕上げました。
 日の丸ビニール



一面にビニールで覆って裏の掛軸の方でテープで接着。
端の旗を止める紐が残っています。
 日の丸裏


どなたかの掛軸です。裏になっていたので比較的奇麗です。テープも粘着が弱っていてそれほど傷めずに剥せました。
 日の丸剥し  日の丸裏剥し
 日の丸と掛軸を剥がす。劣化が酷いので水は使えません。  厚い紙はセロテープを利用して少しずつ剥します。
 屑  粘着紙
表面はすべて粘着紙に直接旗が張られています。これを剥すには薬品がいったり、多くの時間、手間がかかります。
納期はひと月、裏を剥すと結構薄くなりましたのでこの状態のまま、薄美濃紙で裏打をしました。表の接着紙の部分は、表面から剥がれた屑粉で粘着性が無くなりました。
それでもねちゃねちゃする部分は補修用の染紙を千切って埋め込みました。
本来は表から一度薄ノリで止めるべきなのでしょうが、乾かす時間や糊をつけての反応がわからなかったので、そのままにしました。修復に関したは再度挑戦したいと思い、とりあえず新盆に間に合わせることとしました。出来上がりを見ると白くなった分、文字とかの墨が粉末化しカスレも出ました。
残念です。
また仮張りが三日という、納得できない作業でした。なので少し反っています。
しかし依頼主から、無事法要ができたというお礼の電話いただきとりあえずほっとした15日でした!
 日の丸 


36 いま!現代アートの修復現場 

 美術手帳  美術手帳保存
美術手帳 2021.4月号 は「アーカイブ」 アーカイブ (archive) とは、重要記録を保存・活用し、未来に伝達することをいう。日本では一般的に書庫保存記録。この雑誌ではアート作品のアーカイブについて考えています。特に現代アートのアーカイブは東北地震のアート作品の消失や破損から注目を集めています。
日本では古い時代の美術品や資料の保存や修復が主な仕事でありましたが、現代はもっと広範囲に考えるべきですね。ところで保存修復のページで論じている三枝愛さんは東京芸大卒業前から、私に表装の基礎を学び、また拓本の採拓では幾度も手伝ってもらっている方で、今は京都国立博物館の修復の仕事をしています。(2021.4.1)
 美術手帳 


35 綜芸舎・工房半年の成果


突然春押し寄せたコロナウイルスの脅威のため、教えに行ってる表装教室の休講のため、時間ができて多くの拓本、仕立が進みました。こんな千差万別な仕事をしたのは初めてです。まず、採拓とその掛軸仕立が2m超すものが8点、4m超すものが1点、掛軸が2点、仏壇、厨子に入れる佛掛軸が6点、 和綴本の綴じ直しが58冊、屏風が2点、和額が1点、絵巻が1点。裏打のみが十数点。しなかったのは衝立と襖くらいです。お披露目が先になるものが多くてここではあまり紹介できません。工房は私と千秋でこなしているので大変ですが、仕事をしてると無我になれるので、あまり疲れることもなく無事終えました。これからもいろいろ仕事していきますので、よろしく御贔屓におねがいします!(2020.11.11)
 拓本掛軸  採拓
災害の碑採拓と掛軸
 豊国神社社号標拓本掛軸  豊国神社社号標採拓
豊国神社社号標採拓と掛軸
京都市京セラ美術館開館記念展展示中
 仏掛軸  金軸

お厨子佛掛軸と極小の本金鍍金軸先
 和本

和本綴じ直し
 屏風
二曲屏風
 絵巻
絵巻 太巻き納め
 額

和額仕立て直し


34 豊国神社社号標拓本掛軸

 豊国神社軸
 豊拓
 国拓
六尺中国夾宣使用
 豊拓接続
   繋ぐ前
 豊拓接続済
繋いだ後
 donsu
中央の緞子裂地
 軸下部

 京都京セラ美術館開館記念展に合わせて、京都の明治大正にかけての著名な書家・山本享山が書いた「豊国神社社号標」の拓本と掛軸を依頼され完成!10月10日から12月6日まで本館入口の旧建物の壁面に飾られています。
石標本体だけで4m以上あり、六尺画仙紙6枚で採拓後、「豊国」と「神社」に分けて裏打から総裏まで、また天地も「天」と「地」に分けて総裏し、四点を仮貼後、KBS教室を借りて継ぎました。分割された一枚ずつは喰い裂きでわからないように繋ぎ、また上下の総裏した本紙のつなぎ目もわからないようにし、あたかも一枚の巨大な紙で拓本したように工夫しました。上下の二枚とも長さが2m以上、幅1m以上あったので、こちらの工房の一番大きな仮貼り板で乾燥。その前に別の処からの依頼の拓本掛軸八本の製作していて、それは幅はあまり大きくなかったのですが、やはり超長で、大きな仮貼り台三枚、大忙しとなりました。
なお表装布は幅広を使いましたが、それでも足りず、真ん中で繋ぐこととし、中央の裂地にたまたま持っていた西陣の緞子で、瓢箪柄のものを使い、豊臣秀吉を偲ぶ形としました。
この大きさの掛軸なら、もっと太い軸棒を、中をくり抜いて重さを軽くして使うのですが、予算の関係上、径1寸3分にして、収納時には太巻きに巻いて保存するように工夫しました。
なおこの軸の拓本についてはWEB「拓本 https://www.takuhon.com/をご覧ください。


33 古美術修復講座 文化財修復よもやま話 
  

裏打ち


江戸時代や明治時代のお経や仏画を通して、
庶民が守ってきた文化財の修復のお話をします。 


終了!



読売新聞本社とエントランス。この新型コロナで危険ます東京で、
多くの方に参加いただけたことはうれしい限りです。
メインテーマは指定されていない文化財の保護について述べました。
映像化する予定とのこと、できればお知らせします。



 読売新聞  読売新聞エントランス


よみうりカルチャー公開講座 読売新聞東京本社3F新聞教室
 
  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
   アクセス 東京メトロ千代田線、丸の内線、東西線、半蔵門線、
   都営地下鉄三田線「大手町駅」C3出口直結

日時:6月27日(土)13:00~14:30

講師:藪田夏秋 日本表装研究会会長・綜芸舎舎主

受講料:2,200円(税込)入会金不要
問合せ:03-3642-4301
HP:https://www.ync.ne.jp/contents/open.php



32  屏風緊急修理

 KBSホール  
KBSカルチャーが今年初めて全講座合同のKBSカルチャーフェスティバルを2月11日・12日KBSホールで開催されました。裏打ちと表装講座も受講生の作品を十点以上と講師の私と薮田千秋の掛軸も出展、またワークショップとしてご朱印帖作りも行いました。多くの方に来ていただきました。
さて当日は舞台ではハワイアンやダンスなどの実演もあり、邦楽教室の方の演奏や日本舞踊も行われました。
さて!そのバックにKBSが持っている金屏風が長年の使用で、穴が開いたり蝶番が外れたりの状態で、すぐに直してくれとの依頼、修復はできないが、ある程度の修理はできるということで引き受け、短時間で引き受けました。貼ってある金は布目金、こちらが用意できるのは平金、最初は市松模様に張ろうとしましたが、穴の位置が不規則なので、時間が取れません。そこで穴だけふさぐことにしました。いくつかの扇面型を使って、平金を切って穴を塞ぎました。また屏風裏の布も似た色で塞ぎました。最後に全体が薄汚れていたのでよく拭いて作業終了。
当日の会場、舞台が広いので、救急処置としてはうまくいったと思います。(20200303)
 金屏風元  金屏風裏


31 国際博物館会議 ICOM 京都大会

 icom














国際博物館会議が京都で開催されます。直接は関係ありませんが、修復や拓本、紙などで少しはかかわりがあるかなあということで、ここに概要を紹介します。
私の処「綜芸舎]は御所エリアです。良ければお越しください!
 ICOMについて


30

 国宝のお医者  国宝のお医者
 という団体があります。その一人を主人公にした漫画が出ています。教室の女性の生徒さんから教えてもらい早速購入!大人女子に贈るというキャッチコピーの「国宝のお医者さん」 表装の修復の漫画が出るとは思いもよりませんでした。対象が大人女子なので多分多くの方が知らないと思い紹介します。掛軸の描き方などには不満もありますが、目くじらを立てないでおきます。
内容は奈良のイケメン装こう師が掛軸などの修復を博物館の技官と手掛ける話です。
さてこの装こう師は実際はと書きます。「そうこう」の「こう」の文字がありません。画像で出しました。大学の先生方も読めない文字で、聞かれたりしました。この連盟の保存技術が国の選定保存技術に認定された1995年にシンポジウムに参加してお話を聞きました。当時7工房、修復技術者は120名以上と聞きましたが、現在は12工房、技術者130名。工房は増えたが技術者はほとんど変わっていません。どうしてなのでしょうか?ところでこの連盟はギルドとかマイスターのような組織で、四段階のピラミッドになっています。また七割が女性です。漫画の舞台は奈良ですが、奈良には奈良国立博物館内に一工房がありますので、フリーで装こう師という設定はフィクションとなりますね。
私はこういう団体にも、組合にも入っていません。全くの一匹狼で、修復をしています。しかしありがたいことに信用を得て、江戸時代や明治時代の古い掛軸や屏風、巻物などの修理をしてまいりました。国宝や重文とはいきませんが、その土地やお寺などにとって貴重なものを直させていただいています。今少し頑張っていきたいものです。(190707)


29 保存と修理

私はいつも古い掛軸や屏風、巻物を預かって修復をしています。 一人なのでボチボチですが、古いもの、時代がかったものを見たり、触れたりするのが大好きな私としては天職的な作業です。京都は表具発祥の地で、今も多くの方々がかかわっておられます。小さな工房ですから、国宝や重文などの貴重なものには触れられませんが、それから漏れた多くの文化財が手つかずの状態で、朽ちていく、消滅していく現状の中、少しでも役立てばうれしいことです。
さて京都文化博物館ではこの時期、保存と修復の展示をします。昨年は「保存と修理の文化史」という展示、今年は「古社寺保存法の時代」というテーマで展示、展示面積はあまり多くありませんが、それぞれの解説本は展示より情報量は多く、文化博物館売店で販売していますので興味のある方はお買い求めください。
   
明治初期、掛軸の巻き癖と折れを防ぎ、展示見やすくするためか、額装にした時代があります。しかしこれは展示部分と巻いた部分の色の変化や劣化から、今はされなくなり、本来の掛軸の特徴、巻くことによって独自の保存特徴が見直されています。 
大英博物館でも掛軸の天地を切り取り、板状に保存されていたのを見ましたが、最近は元に戻そうとしているとか?
  
 正倉院宝物修理実況図巻 (東博蔵) 明治22年すでに洋服で、椅子に座っての作業と床に座っての作業が混在、下に火鉢が置いてあり、喫煙する作業員もいて、火事の危険に対する意識が低く、
のちに法隆寺の壁画模写からの大火に繋がったのではないでしょうか?
   
東京国立博物館も本館と平成館の間の廊下上に、いつも修復の展示がされています。映像もありますので一度ご覧ください。
掛軸は巻いて保存しますが、経年劣化します。長期経ったものは、軸に皴や絵の具の剥落、カビ等がみられます。それを防ぐために桐で作った「太巻き」という収納具があり、よく使います。しかし今、桐も高く、太巻きを作る技術者も減り、値段も高くなっています。私はずいぶん前から紙管を横に切れ目を入れ、掛軸を巻くようにしています。
問題は紙管が保存に耐える紙と糊で作られていなかったので長期には不向きでした。
最近は保存用の紙管も生まれ、このような博物館でも使用されています。




28 蓮開寺大般若経修復記録 

 大般若経虫食い1  大般若経虫食い2
 大般若経裏打
大般若経修復の続きです。圧倒的に多いのが虫食いによる被害です。綺麗に円に食べて残った部分が一頁に残ている部分です。それ以外の部分は完全に穴が開いています。それを一つづつめくって、それぞれのページに移して裏打をしました。このように残紙がある場合はまだいいので、完全に消えている場合は、同じ紙がないので裏打紙だけで処理しました。本来は同じ紙を探すべきでしょうが、最近は古紙が不足で難しくなっています。(2018.6.15)


27 蓮開寺大般若経修復記録 

 蓮開寺経表紙  蓮開寺経巻一
 「蓮開寺大般若経」修復にあたって、まず現状把握から始めました。経巻は元は巻物状態で 伝わっているものと、本経のような折本(帖)のものがあります。読経の時は折本の方が扱いやすいので、現在はほとんどお経は折本として伝わり、使われています。 さて本経600巻、相当傷んでいる表紙もあり、変えた方がいいかなと思ったのですが、こういう柄の和紙は今全くないことと、これも文化財と思いそのまま使用しました。はがれたり汚れたものは少し修復しました。
上左は170巻、266巻は比較的よく300巻は色あせています。これは積み上げられた状態のトップにあったのでしょうか。
 蓮開寺経巻1  蓮開寺経巻二
第1巻は表紙の汚れもひどく、本体から外れ、裏表紙も剥がれています。そして表紙・裏表紙は薄い板(ヘギ・杉か檜)が使われていました。奥書の年号は寛政四年は1772年で杉田玄白や北斎の時代です。文化九年は1797年、広重が生まれた年です。文政五年は1822年シーボルトが来日、異国船打払令がでています。40年にわたり奥書が書かれています。
 蓮開寺経虫食い 
 本体の虫食いが裏表紙の木片まで進んでいました。裏表紙に接する本体の部分には応急処理として障子紙が貼ってあります。
 蓮開寺経密着  蓮開寺経セロハンテープ  
左端はページが密着してしまったもの。これはほとんどの冊に見られました。紙の継ぎ目が剥がれたところを、濃いノリで止め、そしてすぐに畳んだのでしょうか、表にはみ出たノリで接着してしまったようです。
中の写真はセロハンテープで剥がれを防いだものです。これも結構ありました。
セロハンテープは近代大発明のものでしょうが、文化財にとっては大敵です。剥がれにくく、字の墨をとってしまい、薄くしたり、なくしたりしてしまいます。
(20180505)


26 蓮開寺大般若経修復記録 二

 『大般若波羅蜜多経』唐代の玄奘三蔵が大乗仏教の基礎的教義が書かれている「般若経典」を集大成したもの。通称は『大般若経』で、『般若経』とも略され、全16部(会)600巻に及ぶ膨大な経典群です。般若経典は150年頃に現在の形の原形が成立し、サンスクリット文字にて文書化され、以後長短様々な般若経典へと発展していった。630年頃、玄奘がインド等からそれらの般若経典群を中国へ持ち帰り、更に玄奘自ら翻訳の指揮を取って4年の歳月を掛けて漢訳し、663年『大般若波羅蜜多経』が完成した。この漢訳は広く日本にも伝えられており、現在日本国内各寺院に保存されている大般若経はこれである。今回の蓮開寺大般若経もその一つといえます。なお、この膨大な教典を300余文字に要約したものが『般若心経』という説があります。
玄奘自身は亡くなるまでに国外から持ち帰った経典全体の約3分の1までしか翻訳を進めることができなかったが、それでも彼が生前に完成させた経典の翻訳の数は、経典群の中核とされる『大般若経』16部600巻(漢字にして約480万字)を含め76部1347巻(漢字にして約1100万字)に及ぶ莫大な量です。サンスクリット語の経典を中国語に翻訳する際、中国語に相応しい訳語を新たに選び直しており、新訳といわれ、それ以前の鳩摩羅什らの漢訳仏典を旧訳( くやく )です。玄奘が無くなる直前に般若経600巻が翻訳されたことは素晴らしいことです。玄奘(602年 - 664年3月7日)は、629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還。以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となりました。またインドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、これが後に『西遊記』の基ともなりました。幼少から神童と呼ばれた玄奘は空海と同じように、人並外れた才能と努力に健康と情熱が加わり、人類に多大な貢献をしてくれたことに感謝です!
大正新脩大藏經は、日本で書籍となった大般若経などの経典です。大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)の10年間をかけて、北宋代に蜀(四川省)で開版された漢訳大蔵経である『開宝蔵』を最もよく保存していた韓国海印寺の高麗大蔵経再彫本を底本としつつ、日本にあった各地・各種の漢訳仏典をすべて調査校合した、民間人の手による「漢訳仏典の総集」とも言えます。17字詰29行3段組、各巻平均1,000ページ。正蔵(中国所伝)55巻、続蔵(日本撰述)30巻、別巻15巻(図像部12巻、昭和法宝総目録3巻)の全100巻から成り、漢訳の仏典の最高峰と呼ばれています。
この大蔵経を戦後、茶箱(湿気を防ぐ)にいれられた状態で送られて来ました。数年置いてあったと思うのですが、父の蔵書の重みで家が傾きだしたので無くなりました。でもあったことだけはよく覚えています。般若経なにかの縁です!
 旧経箱  新経箱
 蓮開寺大般若経経箱 蓮開寺の「開」が「海」です。天保二年辛兎正月吉日は1831年。天保二年に大阪安治川を掘って、その土を積み上げ「天保山」を、標高5mで日本で二番目に低い山です。 新しく経箱を作り、すべて鍵がつけられました。箱には干支で子丑寅・・・戌亥と12箱あります。
経箱と帙と経典600巻目  帙と経典1  拓本
 

 箱にはそれぞれ帙に経典を入れて保存しています。箱に五帙、一帙には10冊。一経箱に50冊、12箱で600巻となります。
帙は私の方で製作、厚紙に緞子張りです。こはぜは骨です。また内張りは金砂子の和紙を張りました。
経箱は指物師の方で製作。600巻ありましたが数点順序が逆になっていたり、抜けていたりしていました。
次回は各冊の状態を記します。

拓本は経典を持ち帰る玄奘の碑の拓本。何十年昔手に入れて、屏風に仕立てています。これも縁です!

写真左上は第600巻目 右上と横は第一巻目。


25 蓮開寺大般若経修復記録 

2月15日は城陽市近鉄久津川駅西隣にある平井神社の宮寺・蓮開寺春祭りがあり、大般若経転読が
行われました。このお祭りがこのほど城陽市指定文化財となりました。この大般若経六百巻は江戸時
代1831年に寄進されたもので、ほとんどが虫食いや汚れ、簡単な応急処理だけされた状態で伝わって
きたのですが、ゆえあって、2014年から16年まで三年かけて、私の方で全巻修復し、帙に入れ納めた
ものです。小さな工房ですが貴重な文化財を修復できたことはうれしい限りです。転読は扇面の様に広
げながら読経する宗教行事なので、丈夫さも求められます。博物館に収蔵し、時たま展示するものでな
く、生きた文化財ですから、それなりの修復をしなければなりませんでした。これからまた何百年転読さ
れていくと思うと修復の責任も感じています。
今後このサイトで、その大般若経の修復記録の一部を紹介します。ご参考になれば幸せです。

 城南新報  
 平井神社  転読
 平井神社(蓮開寺跡) 大般若経600巻の転読 
蓮開寺経蔵  大般若経経箱
蓮開寺経蔵  大般若経経箱 



24 クローン文化財 

 釈迦三尊 藝大ポスター  
 釈迦三尊3D  
 東京藝術大学美術館で開催された「素心伝心」シルクロード特別企画展・クローン文化財 失われた刻の再生 は、私にとってはお隣の東博で開催している運慶展より興味深いものでした。私は若い時から拓本をとってきました。これは古代中国で生まれた素晴らしい石や金属に刻まれた文化財を多くの人や後代まで残す優れた複製技術です。書聖・王義之の書はいまや拓本でしかみられません。私の最近採拓した江戸時代の墓碑も、今は壊され拓本のみ残っています。また私は江戸時代や明治時代の多くの書画の修復も手掛けています。ボロボロになったり、虫が食った書画を新たに生き返らせています。
藝大のクローン再生ははるかに規模の大きい、壮大な計画で、あらたな科学の粋を集めた事業です。実物を高精度の3Dで撮影し、それを現在の修復技術で読みがえさせたものです。数年をかけての展示で、終われば一部分は故国に帰るとか。
最初の展示室には等身大の法隆寺釈迦三尊中尊像(国宝)のクローン像、法隆寺のお堂に置けば多分わからないでしょうね。館内ではメーキング映像も見られます。光背の有名な銘文については綜芸舎HPで紹介します。
 バーミヤン石窟  バーミヤン石窟天井壁画 
 次の部屋からは北朝鮮、中国、ウイグル、タジキスタン、アフガニスタン、ミャンマーの遺跡の壁画等のクローン文化財です。ここではアフガニスタンを紹介します。
 バーミアン天井1  バーミアン天井2 
 アフガニスタン・バーミヤン石窟は世界遺産ですが、アフガン戦争の後、ターリバーンが2001年大仏を破壊しました。ところが大仏の天井壁画が残っていることがわかり、写真をもとに修復されたものが展示されています。今回はその天井を再現するとともに、そこから眺めるバーミヤンの美しい景色が巨大なスクリーンで上映されていて、まるで大仏の眼で下界を見ているような素晴らしい体験ができました。今回の展覧会の眼玉ではないでしょうか!(2017.11.1)



23 放屁合戦絵巻

 おならの合戦を描いた絵巻があります。世に放屁合戦絵巻と言われるものです。鳥獣戯画絵巻を描いた鳥羽僧正筆?の「勝得絵巻」 で、 三井記念美術館蔵 紙本着色 1巻 室町時代(15世紀)模写が残っています。勝得絵巻とは前半が陽物(男性器)比べ、後半が放屁合戦となります。
修復した絵巻は奥付きによると、今から350年ほど前、寛文ハ年(1669)に目黒の大園寺雅聲写す・・・とあります。ご覧のようにとっても絵が上手です。また用紙も古く、よくできた作品ではないでしょうか。三井さんのと比較したいですね。
さてこの絵巻といってもまくり状態ですが、巻物に仕立てました。生麩糊を使い、いつでもし直しを出来るように簡素な仕立てとしました。また巻物は折れが出やすいので太巻きとし、大きめの桐箱に納めました。
2013年に英国タブロイド紙『Daily Mail』で紹介された早稲田大学所蔵の200年前の放屁合戦絵巻を見て、世界が日本のユーモアセンスにビックリしたとか。それよりもこちらの方が出来がいいと思います。 
放屁箱 
 まくりは適当な桐箱に納められていました。
 放屁元1  放屁元2
 導入部あたりの絵の表と裏、淡い彩色で人々が生き生きと描かれています。  おならを出すために木の実などを食べているところ、虫食いで相当傷んでいます。
 放屁裏打  放屁裏打2
 養生紙の上で浄水でなばします。前もって絵の具が落ちないか検査しています。  薄茶に染めた薄美濃紙で裏打。下図は表返し養生紙を取り除く。
 放屁巻物1  放屁裏打 
 完成した表紙と、作品の導入部。上裏は雁皮紙使用。
 放屁巻物2  放屁巻物3
 この部分は放屁合戦で有名な部分。  ラストの奥書の部分です。
 大圓寺  
さて奥書にある目黒「大圓寺」は雅叙園のとなりで、幾度となく寄せてもらってお参りしていたのです。偶然今回、千葉の方からの依頼で修復、仕立てましたが、これも仏縁でしょうか。
大圓寺は東京都目黒区下目黒にある天台宗の寺院。山号は松林山。本尊は釈迦如来。大黒天を祀り、元祖山手七福神のひとつ。寛永年間(1624-1644)湯殿山修験道の行者大海が創建。
このことから巻物の奥書も信憑性があります。
1772年(明和9年)2月に発生した大火(明和の大火・行人坂火事)の火元の寺で、江戸幕府から再建の許可が得られなかった。76年後、1848年(嘉永元年)になって薩摩藩主島津斉興の帰依を得て、その菩提寺としてようやく再建され今日に至っています。
ご本尊の重要文化財 木造釈迦如来立像は京都・清凉寺の釈迦如来像を模した「清凉寺式」。像内納入品の銅鏡の線刻から、鎌倉初期の建久4年(1193)の造立と判明。また像内に納入されていた宝永4年(1707)の木札の記載により、この像は当時鎌倉の杉本寺にあったことがわかり、清凉寺式釈迦如来像の典型作であるとともに、制作年代の判明する清凉寺式釈迦如来像としては最古の作品として貴重です。そういえば春に杉本寺にお参りしました。これも縁!
なおこの絵巻の公開に同意いただいた持ち主の千葉のM氏に感謝します(2017.8.8)




22 絵金の修復?

 絵金1  絵金2
 10年ほど前の夏、高知の赤岡町の「絵金祭り」を見にいき、町々に出された二曲屏風を蝋燭の光で眺めると、そこにはおどろおどろしい極彩色で描かれた芝居絵があり、感嘆した思い出があります。
最近この絵金の作品の修復を失敗したという新聞報道があり、ビックリしました。「絵金蔵」(修復目録)には二つ目に載る素晴らしい作品「鎌倉三代記三浦別れ」です。新聞報道を抜粋しました。

 熊本市美術文化振興財団によると、屏風絵は2010年7月、企画展のために借り、防虫処理の燻蒸をした後に緑色の部分が黒く変色した。処理を委託した熊本の業者が、研究機関が美術品には使わないよう注意喚起しているリン化アルミニウムを含む薬剤を使用したといい、緑の顔料に含まれる銅が酸化したとみられる。学芸員は作業に立ち会わず、使ってはいけない薬剤の知識もなかった。「現在施せる限りの処置をした」としているが、完全には修復できず、財団は「申し訳ない」としている。
2012年6月に熊本市から国立文化財機構・東京文化財研究所内の工房に移され、国宝の修復を手掛ける専門会社が修復作業に当たった。修復などには約3千万円と保存会に1千万円を寄付。
今年4月地元に戻りました。
 絵金3
 さて左に掲げたのが「絵金蔵」(修復目録)の写真です。右の上が熊本での修復?、下が東京の業者の修復。下部の足元に注意すると、元は緑色です。これは普通畳を表しています。右の上はそこが黒ずんでいます。下は黒ずみが若干取れましたが、緑色は無くなってしまいました。中世から近世にかけて、畳は非常に重要で、その場が上級な場所であることを表しています。これは修復というより、文化財の破壊行為です。私も多くの作品を修復してきました。今も6点作業しています。私の場合は薬品を使わないでやっています。依頼者には最初にその旨を伝え、本紙画面は決して新品同様にはなりません。古色は少しきれいにはなります。虫食いや破れは治ります。表具は見違えるようにきれいになりますのでご了承ください。といっています。絵金の事件も他山の石として心してかからねばと思っています。(2017.5.5)



21 屏風の始まり 

 屏風  屏風金具
1983年中国広州市象崗山で前漢南越王墓が発掘され1000点以上の遺物が出土し、史記や漢書に記された紀元前の文物の発見は古代中国研究を躍進させました。その中に漆塗りの屏風と金具が多数出土し、それをもとに復元され、「羽飾彩紋屏風」と名付けられました。王墓は地下20mにあり、そのまま木の部分が朽ちて、金属部分が使われていた同じ位置に残り、おまけに金具には右や左の文字や番号が記され、正確な復元が可能となったのです。なお日本では「中国・南越王の至宝」展が1996年古代オリエント博物館で開催され見に行きました。写真は本展の図録(毎日新聞社刊)より転載。

屏風は風を防ぐ家具と言われていますが、私はそれよりも支配者・貴人の後ろに置かれた威厳を高めるための装置ではなかったかとおもいます。この1m80㎝もある三面屏風それを如実に表している最古の実例ではないでしょうか。移動可能なツールにすることで、臨時にその場を支配者の場としたのでしょう。この屏風は各々の面を90度動かせられます。それを可能にしているのが精密鋳造された金具です。霊獣の上のL形の金具に切れ目があるところから二つの部分をジョイントしています。これが90度開閉するのでしょう。紀元前にここまでの装置を作った古代中国人はすばらしいです。(2017.3.3)



20 日本の表装

 京都文化博物館で12月17日から来年2月19日まで開催されている「日本の表装展」は96点の出品ですから中規模な展覧会ですが、掛軸をこれほど歴史的、文化史的に紹介された展覧会は初めてではないでしょうか。京都という表装の中心地であればこそ開催できたと思われます。注目すべき出品は多いのですが、ここでは三点について述べておきます。
これは18日に当館で行われたシンポジウム「表装と日本文化」の中で、京都大学総合博物館館長・岩崎奈緒子氏の紹介されたもので、当館が修復されたものです。 
 日本の表装 
 マリア十五玄義図  マリア十五玄義図裏
「マリア十五玄義図」(重文)
昭和五年高槻市の農家の屋根裏に刺された杭に留められた竹筒から発見されたもので、17世紀のキリスト教禁教の時代にあって、隠され、その中で信仰のため使われたものです。発見されたときは分厚い和紙で何層にも裏打されていました。普通は掛軸の仕直しは裏打紙を剥がして、新たな和紙で裏打ちをし、本体を保護します。ところが当時は禁教ですからこの掛軸は専門職に出すことはできません。隠れながら使用していくうちに本体が傷んできます。そこで隠れキリシタンは手に入る和紙を使って素人ながら貼って補強したのでしょう。その繰り返しが今日見られるような何層にもわたる紙の層をつくったと思われ、信仰の深さと強さが思い偲ばれます。たった一幅の掛軸が日本の歴史の重さに光を当ててくれます。 なおこのマリア十五玄義図については京大のアーカイブで詳細な報告が出ています。 
 板掛軸  洛中洛外図屏風
「法然上人善導大師像聯」(江戸時代)

かって私は洛中洛外図屏風(舟木本)に掛軸を棒につって勧進する僧をみて面白く思ったものですが、その時は普通の掛軸と思っていましたが、これは板に描かれた掛軸絵だそうです。なるほど板に描いた方が丈夫で安価ではあります。現存する板掛軸を初めて見ました。  
刺繡涅槃像 
「刺繍涅槃図」 (江戸時代)

巨大な刺繍で作られた涅槃会図の中心におられる涅槃仏は金糸で刺繍されていますが、相当厚いので、そのまま軸にすると巻けなくなります。そこで仏様のみを別に刺繍し、掛軸の中心につるして拝む形をとりました。これは結果としては立体的に見え、涅槃の効果がよりあらわされたと思われます。

今回の展覧会で中世から近世にかけての掛軸の独創性に驚かされます。

私が掛軸を作り始めたときは、世の中は無難で独創性に乏しい、画一的な掛軸ばかりでした。私はそれを打破し、本紙と表紙全体で一つのアートとする掛軸つくりを目指して、何年にもわたり個展で発表し、作品集を出してきました。また多くの弟子を育ててきました。先人がはるか昔にも独創的な掛軸つくりに挑戦してきたことを想うと、これからの若い人たちにもっと挑戦していただきたいと思います。 


19  時をかける少女

   

 トキカケ・・・「時をかける少女」といえば筒井康隆の小説で、1983年大林宣彦の尾道三部作で有名(わたし的にはさびしんぼうが好き)ですが、7月末、東京国立博物館で特別展があって、初めてアニメの存在を知りました。7月16日の博物館前での野外上映会にはなんと6500人も集まったそうです。行きたかった~!といううことでビデオ鑑賞。細田守監督のこの作品は最初小劇場のみの短期公開だったのが、噂を呼んで最終的には2億以上の収入を得、数多く映画賞をとりました。
原作から20年後の話で東京の下町が舞台です。
さてなぜ?東博で上映会をしたのでしょうか。まずアニメ版は2006年7月15日公開だったので、10周年記念、同じ日に上映会です。そしてもう一つは東博が何回か出てくるからです。アニメの少女の叔母さんが、かって小説の主人公で中年になり、未婚で博物館の修復をやっているんです(置いてあるスプレーなんか私のとそっくり)。そして修復している作品が「白梅二椿菊図」という架空の名作です。ストーリーは省きますが、最後に少女は、叔母と同じ道を歩もうとします。すばらしい、私の教室にきたら! 右上の写真は東博本館の玄関、下は本館裏の庭園に面したところ。忠実に再現しています。修復室には入ったことがないのでわかりません。(2016.9.9)
   


18 美術の裏

東博



















東京国立博物館で夏休みということで「親と子供のギャラリー・美術の裏側探検隊」
展示がありました。仏像の裏や銅鏡の裏、着物の裏などを展示、その中で、表装で
は巻物の裏の文書=紙背文字を展示していました。
延喜式が書かれた文書、書き損じか、試し書きかわかりませんが、いらなかったの
でしょうね、その裏に書かれたものが馬の値段などの書付だそうです。
当時としてはどちらもいらなものでしたが、千年たてばとても重要な文化財、延喜式
は公的な文書なのでそれを表に巻子本に仕立て、裏は当然裏打ちされ見えなくなり
ますが、極薄の和紙で裏打ちすることで裏も読めるように仕立てられました。(2016.8.8)



17 鳥毛立女屏風下張り鳥毛立屏風
















正倉院御物「鳥毛立女屏風」の何度かの修理で下張りの紙から752年作の
日本製であることが分かっていますが、その下張り紙の文書の研究から多く
のことが分かってきています。

鳥毛立女屏風下貼文書の研究--買新羅物解の基礎的考察 ― 東野 治之 史
林57号(1974ー11)史学研究会刊です。和紙も墨も保存性が高く1300年前の
生活を今に伝えてくれます。今は屏風や和額、襖の下張りには古紙は高価で使
いません。今から1000年後の我々の生活は伝わるでしょうか。この前まで主流
を占めていたフロッピーディスクは数十年で使えなくなっている現状を考えると暗
澹たる気持ちになります。ところで5月28日朝日新聞「丸山裕美子の表裏の歴史
学」の「屏風の裏打ちに購入記録」は裏打でなく下貼りが正しいと思います。下貼り
は糊を浮かしてつけるのでよく残りますが、裏打ちは糊をベタにつけるので多分剥
がした時点で廃棄されます。前項の16屏風修復をご覧ください。(2016.7.7)






16 屏風修復



 屏風元  屏風骨
 岡山の教室で去年から始められた古屏
風の修復です。福岡から遠路はるばる参
加しておられます。蔵にあるのを自分が
壊したということで、修復されます。六曲
屏風で山水画が描かれたいます。相当
雨浸みがあり、骨も傷んでいました。
 作品を剥がし、別に裏打ちをするため保存、屏風の骨から下張りを剥  がす作業を始めてもらいました。下張りの反故紙はすべて大福帳な   ので価値がなく破って剥がすことにしました。出てきた骨はあまりいい  木が使ってありません。後で補強しなければならないかもわかりませ  ん。剥がした後、骨を水洗いしました。(2016.2.2 つづく)




15 修復いろいろ

 ヒナ元  ヒナ修復
お雛様のかわいい絵を教室で掛軸に仕立ててもらうことになりましたが、お雛様の頭にシミ!少しずつスプレーで水をかけ、和紙で両面から吸い取ると綺麗にシミが取れました。そのあと裏打ちして仮張りしました。
私のほうでは通常ふすまの張替はしませんが、画家の素晴らしい作品を張り替えるということでさせてもらうことになりました。問題は年の暮れで、部屋が開けっ放しでは寒いし、お正月には人を招くので・・・ということで四面は大晦日までに、後は正月早々に納めなければなりません。暮れも正月も仕事になってしまいました。(2016.1.1)


14 歌舞伎・土蜘蛛隈取掛軸

 土蜘蛛掛軸  土蜘蛛隈取  六代目
 第12回ひょうほゑ展に出品した薮田夏秋の創作掛軸です。
本紙は歌舞伎不世出の名優と言われた六代目尾上菊五郎(六代目といえばこの人を指す・1885-1949)の歌舞伎演目「土蜘蛛(土蜘)」の隈取(くまどり)です。
「土蜘蛛」は能から採られた明治期のもので河竹黙阿弥の作品で、それを演じたのが六代目の父五代目菊五郎です。話は山中に巣くう土蜘蛛を源頼光が退治する話です。蜘蛛が手から放つ蜘蛛の糸はダイナミックで歌舞伎や能で一番の見せ場です。
隈取は演技が終わった直後、布に移しとります。汗をかいているのでうまくとれるようです。普通赤が多いのですが土蜘蛛は茶色で隈を描く特殊な例です。

さてなぜこの隈取が我が家にあったかと言えば、祖母が祇園で三味線の師匠をしていて、六代目からその技を褒められご贔屓いただいたなかから頂戴した掛軸です。それを今回仕立て直ししました。
私が物心ついたころには三味線は弾いていませんでしたが、レコードがあって聞いた記憶があります。最近現役のころのハガキが見つかり読んでみると、 祖母の計らいで東京の歌舞伎座に行かせてもらった芸妓や舞妓のお礼状が沢山ありました。娯楽の少ない当時、喜々として楽しんだ風情がしたためられています。私の7歳上の姉が六代目に抱かれている写真もありました。残念ながら私が生まれた頃は祇園から今の地に移っていて、祖母も現役引退し、ただのこわーいおばあちゃんになっていました。死ぬまで凛とした姿だったので子供心に怖かったのでしょうか。
現在尾上菊五郎は七代目、奥さんは富司純子、長女は寺島しのぶ、長男は五代目菊之助。 
 土蜘蛛舞台  六代目土蜘蛛
 土蜘蛛掛軸天  土蜘蛛掛軸地  蜘蛛の糸
土蜘蛛の舞台のような蜘蛛の巣でなく、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」角川文庫版からイメージを得ました。
シケ(紬風の絹織物)をパーツに切って青色の和紙を沈めとしたあと、その上に青の露糸を嵌めこみ、中心から一本の赤い露糸をのばし、地の軸したから板(床の間や畳)すれすれまで赤糸をたらしました。本の表紙のように蜘蛛形をぶら下げてもよかったのですが、ちょっとやりすぎなのでやめました。 (2015.11.11)



13 祇園祭岩戸山の装飾修復 

 岩戸山 
 七月京都は祇園祭一色です。前々日にあたる宵宵宵山に出かけました。半世紀以上皆勤(詣)、長刀鉾に関係者以外初めてあがらせていただいたり、占出山の神事に参加させていただいたり、四条烏丸でパンフを配ったり、神輿洗いの提灯持ちしたり若い時から何かと楽しんできました。そして毎年決まって回るコースがあります、まずいつも町内の方から粽をいただく船鉾、そして上がらせてもらう月鉾、そして占出山にお詣り、それ以外はその時々によっていろいろバリエーションがあって楽しみます。
今回は「岩戸山」、山と言っても大きな車が付き、巡行の順番を決める籤を引かなくて良い曳山です。神話の天岩戸からきています。
山鉾は動く文化財と言われるように本体の彫刻や絵画も素晴らしいですが、前後左右を飾る垂れ幕の刺繍や染色は中世から江戸時代にかけての我が国の工芸品やヨーロッパや中国からの舶来品もあり見ごたえがあります。
さてこの岩戸山の見返り(後ろの幕)は明・清朝の「日月龍唐子嬉游図」の綴れ織り(一部は刺繍)です。近年痛みがひどくなったので別途復元されました。明るくなって綺麗ですが、元と比較すると深みがありません。よく見るとやはり難しかったのか手抜きが見られます。ここではHPにあわせて唐子の持つ掛軸に注目してみました。このての題材は宋・明時代の山水画で仙人が軸を眺める図を子供がまねている図です。拡大してみると掛軸には水墨画らしきものが描かれていますが、復元では白紙になっています。完全復元ではないのが残念ですね。元の物を大切に保管してほしいものです。(2015.8.8)
 岩戸山唐子元  岩戸山唐子新
 岩戸山唐子部分  岩戸山唐子新部分




12 源氏物語絵巻修復と模写

 東屋
東屋模写
 源氏物語宇治十帖「浮舟」は二人の貴公子に愛された女性の切なく悲しい物語です。この段は「東屋」と言われる場面で、浮舟に会いに来た馨に合おうとしない浮舟と、縁側でぽつねんと座す馨の姿が見事に描かれた作品です。平成17年に徳川美術館が再現模写をしました。特にこの絵に描かれる浮舟は後ろ向きで伏して顔は見えなく、小さな頭が妙にデフォルメして描かれていて、儚さが予知されていて素晴らしい描写です。
文化財は時代で劣化しますが、特に巻物は巻きほどきの度に悪くなります。現在は多くが巻かない状態か太巻きにして保存されます。それでもどんどん劣化しますので、最終的には劣化を止める作業が修復です。その失敗例が高松塚古墳の壁画ではないでしょうか。
紙や絵に描かれた絵画の修復は我が国は最高の技術を持っています。最近修復された「鳥獣戯画」は評判になりました。
修復はもうこれ以上劣化しないようにしようという方法ですが、復元模写は作られた時にタイムスリップして今見ようとする試みです。最近はバーチャルリアリティーなどができて結構昔に戻れます。しかし徳川美術館の試みは紙や絵の具まで当時に近づくリアリティー模写です。素晴らしい仕事ですが、二つの絵を見比べたら元の絵の方が私には馨の気持ちと浮舟の気持ちが伝わて来るように思います。七夕の日に記しました(2015.7.7)





11 国宝檜図屏風の修復

檜図屏風 
東京国立博物館ミュージアムシアターで4月26日まで「国宝檜図屏風と狩野永徳」という題名でバーチャルリアリティーと呼ばれる映像が上映されています。天才絵師狩野永徳の最後の大作となった檜図屏風の修復を映像化したものです。八条宮家の襖絵として描かれたものが明治以降八曲一隻の屏風として今日まで伝わってきましたが、今回四曲一双の屏風に仕立て直されました。絵の具の剥落や破れ、亀裂を修復するとともに、襖から屏風に変えたときの絵の段差が気になっていたのを二つに分けることで解消できました。また裏打ちはがしから八条家の五七桐紋(桂離宮の襖の唐紙)が出てきて所有者が確定されました。写真右は布海苔で表張りをして表面を保護する作業。 修復に興味のある方はご覧ください。(2015.2.2)  檜図屏風修復


10 和紙 世界文化遺産

紙漉き

手すき和紙技術がユネスコの無形文化遺産に登録される
ことになりました。和食についで素晴らしいことです
。島根の石州半紙、岐阜の本美濃紙、埼玉の細川紙です。
今回は楮のみを使った手漉きの和紙が代表とな
りました。
和紙としては他にも福井の越前和紙や高知の土佐紙や京
都の黒谷紙など有名どころもありますが、純楮で組んだよ
うです。
さて我々表具の世界では奈良吉野の国栖の宇陀紙や美
栖紙を使います。これらは楮の中に白土や胡粉を入れて
微妙な厚さや丈夫さを調整します。そこには使い手と作り
手の緻密な関係がなければできません。
今回は三カ所の和紙が登録されるようですが、もっと間口
を広げ、手漉きで楮と三椏と雁皮が入り、トロロアオイやノ
リウツギを繋ぎに製紙するものはすべて入れてほしいもの
です。
写真は今から18年前に訪れた吉野国栖の美栖紙を漉く上
窪さん工房で私の生徒さんが漉いているところです。
素晴らしい技術をもったご夫婦も亡くなり、とっても残念
(20141111)





9 夏秋塾























先日鎌倉の某邸で夏秋塾を開きました。今回は関東の教室の受講生が対象、
暑くって遠いのにかかわらず14名が参加されました。中には奈良からも来てい
ただきました。
今回は午前中は京表具の修復ビデオを観ての勉強。午後は床の間のビデオ鑑
賞の後、「ユカとトコ」の話をしました。
太平洋が一望できるロケーションなので、また開催できたらと思います。最後に
お貸しいただいた上、お世話までしていただいたT様本当にありがとうございました。




8 古書の中から落書き






















東京の教室の受講生の一人は修復技術を学ぶために来ています。彼女が資料として
持ってきた古書は神保町の有名な古書店でかったものですが、表紙も取れ、虫食いも
ひどくとっても安価に手に入れました。修復を初めてすでに半年以上過ぎました。
この古書は宝の山でした。まづ裏打紙が別の本をそのまま使っていて、結構ページもそ
ろい別の本に仕立てられそうです。
さて去年の末見返しあたりの裏打紙が無地の部分を剥がすとなんと落書きが出てきまし
た。さて誰の顔でしょうか、寺子屋で子どもがかいた教師の似顔絵かな?
仕立て上がりが待ち遠しいですね。(20130504)



7 襖の裏から古文書

長崎新聞 2013.4.3 襖の裏から大量の古文書

 対馬市峰町木坂にある古民家のふすま4枚の下張り紙に、江戸時代後期のものと
みられる大量の古文書が使われているのが見つかった。持ち主の同市厳原町日吉の
出版社代表、永留史彦さん(59)は「まるでタイムカプセル。どんな歴史が記さ
れているのか楽しみながら調べたい」と読解を進めている。
 古民家は永留さんの父、久恵さん(92)の旧宅。普段は誰も住んでいないが、
今夏に大学生らを宿泊で受け入れるため、3月上旬からふすまの張り替え修理をし
ていたところ、上紙の下に古文書が何枚も広げて貼ってあるのを発見。ふすま1枚
当たり200枚以上の古文書が入っていたという。
 古文書は1800年前半のものとみられ、中には対馬藩の公文書も。そこには、
天草の船が朝鮮国南部に漂着し、対馬藩が日本を代表して船員の身柄を引き取り、
長崎奉行所へ送り届けた記録が記してあった。
 「対馬藩が現代の外務省の役割を果たしていた史実がよく分かる」と永留さん。
このほか、禁じられたキリスト教の信者でないことを証明する書類、料理目録、
掛け算表などさまざまな分野のものがあった。
 永留さんと読解を進めている県立対馬歴史民俗資料館元館長の大森公善さん
(69)によると、島内には国指定重要文化財「宗家文庫史料」を代表とする古文
書が多く残っており、古い家屋や倉庫から見つかるケースはある。永留さんの古民
家は14代藩主・義和が宿泊所としていた記録があることから「特に格式が高い家。
貴重な文書があるかもしれない」としている。
 永留さんは「古文書の和紙は丈夫で貴重な資源だった。昔の人は物を大切にし、
ふすまに再利用したと思う。そうした気持ちもくみ取りながら、調べたい」と話し
ている。





















京都では良く勤王志士の手紙などが見つかります。当方も2年前6曲屏風を 5棹ほど
修復しましたがほとんどが写真に見られるような帳簿や借金証のようなものであまり重
要なものはお目にかかっていません。それでも少し価値がありそうなものは保存してい
ます。時間があれば検査解読したいですね。(2013.4.6)





6 マンガで文化財修復紹介





















京都にある多くの文化財を保護・保存のため修復技術が永年にわたって活躍してきました。
その技術は今や世界各地でも活躍しています。そういった日ごろは目立たない技術を紹介す
るため財団法人京都文化財団は、一般の人、特に若い人にわかってもらおうと「マンガ文化
財入門」を発行、第1号は建物編 今回は絵画・書跡編です。
小冊子ですが概要がわかって面白く仕上がっています。
監修は国宝修理装こう師連盟。(2013.3.15)





5 菅原道真掛軸修復

 
  ←総裏の裏打紙を剥がすと無数の折れ伏せ(作品の折れを直すために細い和紙を張ったもの)。ここから一度以上修復されていたことがわかります。それもあまり丁寧でないのでいい表具師ではなさそうです。 
 




 ←修復前の像 4  修復後の像→ 
 

着物の部分、修復前は見えなかった文様が洗いで見えるようになりました。
菅原道真は845年から903年まで日本の政治を動かした人物で、ざんそされ大宰府に流され、その祟りを恐れ天満信仰が生まれましたが、今はそれより学問の神様として篤い信仰が続いています。そして江戸時代寺子屋制度が起こると、崇拝の対象として多くの天神掛軸が飾られたそうです。特に福井など日本海側に残っているとか。
さてこの掛軸は大阪の教室に来ている生徒さんの家に掛けられていたもので、ひどく傷んでいます。ご本人が失敗してもいいから自分で修復したいとのことで、教室で指導しながら、剥がしからはじめ、画像を洗い、周りに新たな裂地をつけて甦りました。時間はかかりましたが大成功でした。(2012.8.2)



4 川端龍子「鵜」修復

    明治から昭和にかけての著名な日本画家で俳人。

個人蔵の作品ですが、保存が悪くて雨漏りで上部にそうとうな汚れがありました。

作品の汚れを薬品で除去しましたが、あまりすると絵の具をとってしまうので、少し残りましたが断念。
 



3 内裏雛掛軸修復

   
 修復前お雛様掛軸
 修復後のお雛様
   
作品とその一部分   

 京都KBS教室で受講生の内裏雛掛軸(紙表具)を修復指導しました。
作品(本紙)は版画もしくは下絵印刷したものに着色した掛軸で、廻りの紙表具は
崩壊直前でした。幸いに本紙はまだ痛んでなく、裏打が剥がれた状態でした。本
紙のみを切抜、廻りは新たに裂表具に衣装替えしました。こういった着色の作品
は絵の具が悪くて、滲んだり剥がれたりしますが、事前に少し湿らせてテストして
大丈夫でした。紙表具の結構どぎつい着色のお雛様掛軸を時々修復します。
「1雛の絵」もそうです。
かって戦前、雛人形は高根の花だったのでしょう。それでも庶民の親は娘に手の
届く範囲で買い与えたのが紙のお雛様だったのではないでしょうか。ところでこの
雛の絵は秀逸です。内裏様の前で雅楽がなり巫女が舞っています。そんな公式
な場なのに、隅っこでは下人たちが焚き火をしながら、舞を見ようともせずお酒を
飲んでいます。この絵を見た当時の子供たちはこの皮肉ユーモアを何と思ったの
でしょうか。(2011.10.16)



2 太巻


 太巻きを広げたところ
 
 軸棒をはさんだところ
     
  桐箱に収納  
 吊って飾り、巻いて保存できることが掛軸の最低条件です。
巻物と違ってあまり長くない掛軸の棒は比較的太めです。普通床の間に飾る長さだと直径は9分(27㎝) か8分(24cm)くらいです。

もともとは墨一色の水墨画は薄い画仙紙に描きますので十分に巻きほどきができ、将来にわたってそれほど傷みません。
また岩絵の具を使った日本画は絹に書くことで巻きほどきをスムーズに行えました。

ところが戦後、日本画は油絵の技法を取り入れて厚塗りをするようになり、また絹本より、鳥の子紙や麻紙に描くようになると、巻けなくなり額やパネルとして展示するようになりました。無理に巻くと絵の具が剥落したり、折れじわができてしまいます。
また修復した古書画もそれ以上の劣化を防ぐため、太めの軸棒に巻くようになりました。
ところが今度は軸棒が太くなると重たくなり、掛軸に負担がかかります。また見た目もよくありません。
それで考案されたのが収納するときのみ太い軸に巻く方法です。桐でできたこの太巻きは現在では、多くの文化財収納に使われています。素晴らしい工芸技術と言わざるをえません。
(2011.04.20)


1 雛の絵

   
 雛飾り掛軸 仕立て直し  元の掛軸 元の掛軸
   
 上:元の掛軸部分  下:裏打剥がし

もうすぐ雛まつりです。この掛け軸は戦後間もないころ、雛人形を買える状態でなかった時代、
それでも親は娘にと贈った掛軸。
60年以上経つ間に劣化した掛軸は、でもやはり雛祭りには掛けられていたのでしょう。紙テー
プであちこち破れを直しています。それを修復しました。

廻りの表紙の部分は紙なので取り除き、本紙のみ裏打を剥がします。昔のものはどんなに悪
くても生麩糊で裏打されているので、水のみで剥がせます。また紙テープも劣化していて比較
的簡単に剥がせました。その点最近の量産掛軸は化学糊の使用で剥がせないものがあります。
この手の作品は色落ちが心配でしたがそれもなく安心しました。仕立て直しはなるべくシンプル
にということで、無地の袋仕立てとしました。3月3日には衣装を新たにした掛軸が床の間にかけ
られることでしょう。(2011.2.16)