夏秋徒然草ⅲ96~   夏秋徒然草ⅰ 1~37

夏秋徒然草 95 極楽寺・稲村ガ崎アートフェスティバル

 アートフェスティバル  コッホ碑
 稲村ケ崎公園から富士 鎌倉江ノ電沿線海岸沿いで開かれていた「極楽寺・稲村カ゛崎アートフェスティバル」最終日に覗いてみました。まづ稲村ケ崎公園、ここからは江の島と本土?との間に富士山が結構大きく見えます。昨日11日初冠雪しました。公園の上の方に行くと石碑があります。拓本家の性でしょうが碑を観ると調べてみたくなります。銘板をみるとなんと「ローベルト・コッホ碑」で、1912年コッホ博士の来日を記念して北里柴三郎博士などが建てた碑でした。つい先日今年のノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智北里大特別栄誉教授の偉大な先達で1905年ノーベル賞を受賞され、北里博士は彼の弟子。彼から110年たち孫弟子が受賞されたことも何かの縁、ここからコッホ博士と北里博士が富士をめでたことも何かの縁。ちょっとうれしくなりました。
 志賀邸裏  自由人 山頂のあずま屋で休んでいると初老の夫人と話す機会があり、話すうちにご主人がフィスティバルの一環で先日自宅で40人に講演をしたとおっしゃったので、大学の先生かと思ったらなんと!志賀直哉の甥の方でした。家にお寄りになって・・といわれて寄せてもらって素敵なお宅でお話ができました。夏にはお庭の下を流れる小川でホタルが乱舞するとか。ご主人は銀座の「たくみ」の社長さん、東京民芸協会の会長さんでもあります。棟方志功の肉筆「不動明王」も拝見できました。志賀さんの紹介で次に寄せてもらったギャラリー自游人・大石陸平さんは芹沢錴介の甥です。鎌倉彫から絵画、おまけに楽器製作まで手掛ける多彩な方で、話が弾んで自作のウクレレで演奏までしていただきました。
 大岡昇平邸  ギャラリーの上には大岡昇平の旧宅。昭和24年ごろ住んでおられた。ところで大岡昇平の「花影」のモデルであった坂本睦子に会いたかったですね。
彼女が付き合ったり愛人になったのは直木三十五を始めとして青山二郎、坂口安吾、中原中也、菊池寛、小林秀雄、川上徹太郎、最後に大岡昇平。
極楽寺前のハンバーグ店でランチ。極楽寺ではハープアンサンブルリサイタル、時間がなく入りませんでした。聴いたら極楽に行けたかも?極楽寺の赤い橋の下を江ノ電が通り抜けてトンネルに入っていきます。こりゃー奥の細道! 
 極楽橋  極楽寺  絵本展
 バイク№  砂浜  途中でみた絵本の展示「まじょまつりにいこう」うさぎさんです。
この辺りのバイクナンバーのイラストは「江ノ電・七里ガ浜」です。カッコイイ、京都も大文字送り火イラストはどうでしょうか。いろいろ見て歩いた後はこれも京都人の憧れ、海よりを歩きました。この海岸は波も立ち、サーフィンのメッカ、サーファーでいっぱい、オリンピックサーフィン会場はここかな?
七里ガ浜は砂が細かく深いのでとっても歩きにくい、そのため波際を歩きます。気を付けないと靴が波に被ります。この日歩いた距離17000歩、階段上がり降りは21階分、夜両足が引きツレておお痛!(2015.10.15)



夏秋徒然草 94  at Home掛軸

athome
9月22日から日本映画「at Home アットホーム」が全国各地で上映されています。映画が始まって早めに掛軸が出てきます。竹野内豊が骨董の掛軸を家族に紹介する場面です。実はこの掛軸、私が作りました。ラストに私の工房「綜芸舎」が小さなタイトルとして流れます。私の作品は今まで新聞や雑誌、テレビでは使われてきたのですが、映画の小道具として使われたのは初めての経験で楽しませていただきました。監督は本物志向と見えて、適当な掛軸ではなく骨董価値の高いイメージのものにしたかったのか、作品は丸山応挙の作品をコピーしたものを大和仕立てにしました。去年暮の京都映画祭に出展されるので結構早く作ったのですが、実際に観られたのは半年以上たった今月でした。各地で上映されていますので、ご覧になられたら注意してみてください。なお本物をお持ちの方の意向で掛軸は撮影後廃棄処分されました。儚い掛軸でした。(2015.8.28)















夏秋徒然草 93 英霊なのか

 かずさん1  かずさん2

母の弟、かずさん 職業軍人として空母に乗り、1942年6月ミッドウエー海戦で亡くなりました。私は幼児として微かに覚えているのは、町内に何百人という人々が集まり、壮大に葬儀が行われたことです。彼は求めて軍人となり国を守って死んだのでしょう。凛とした若者で写真も残っています。
よっちゃんは下の弟でした。彼の写真はありません。彼は終戦間際招集され、フィリッピンに送られ、戦後になって遺骨がない骨箱だけがが帰ってきました。行きたくないと言っていたそうです。もちろん立派な葬式もできませんでした。どちらも国を守ったはずなのに?(2015.8.8)


夏秋徒然草 92 七寺 唐櫃入り一切経(重文) 

 七寺お経 名古屋市中区大須にある七寺は「ななつてら」と呼ばれ、787年紀是広によって、七歳に亡くなった息子のために愛知県稲沢市に建立された七堂伽藍からきていると言われています。江戸時代に今の地に移されました。戦前の写真を見ると相当立派なお寺でしたが、第二次大戦の空襲で灰燼に帰しましたが、僅か経堂のみ残り、その一切経が現在重要文化財になっています。
「唐櫃入紙本墨書一切経」唐櫃31合、巻子本3398巻、帖装本1556帖の膨大なお経が残ったことは貴重なことです。
1175年大中臣朝臣安長の奉納で唐櫃には蒔絵の仏像が描かれるという工芸品としても素晴らしいものです。また最近の調査で中国にも原本がない幻の経典が見つかり、敦煌以来の発見と言われています。
一切経とは大蔵経ともいわれ、漢訳されたすべてのお経をいいます。 唐櫃はお経や衣服を入れた六脚また四脚の蓋付の木箱で持ち運びができるとともに下からの湿気を防ぐ役割もあり優れた収納箱です。紙本墨書は紙に墨で手描きにされたもので版本より古い時代のものです。

現在綜芸舎では江戸時代の一切経の中の大般若波羅蜜多経600巻の修復を始めました。これは版木で刷られたものです。

なお写真には遠くに大須の観音さんが映っていますので位置が理解できると思います。(2015.7.7)
 
 七寺


夏秋徒然草 91 ブラビョウブ

 洛中洛外図屏風(舟木本) 中世にもっとも流行ったアートは洛中洛外図屏風です。もともと家具であった屏風を世界に類例を観ないランドスケープパノラマアートにしました。洛中洛外ですから当然京都が描かれています。形態は六曲一双の形をとります。六枚に折れる形を左右二つ作るのが六曲一双です。高さは5尺(150㎝)で折の1面は2尺(60㎝)で広げれば360×2で7mを超えます。しかし屏風の特性として自立させるわけですから、完全には広げず部屋の大きさに合わせてフレキシブルに対応します。それはまた立体的に景色を見ることにもなります。
金色の雲の間から見える京の街 、そこには社寺仏閣や道や橋が描かれ 、通りには都人や地方から来た老いも若きも、貴人も庶民もあふれ、店店では商人があらゆるものを商っています。中ほどには必ず祇園祭の鉾の巡幸パレードが描かれ、まるでデズニーランドにいるみたいです。こんな素敵な京の街にタイムスリップしたい・・・その最高の屏風が舟木本洛中洛外図屏風です。

戦後滋賀県長浜の医師・舟木さんが古美術商から購入したもので、それ以前の記録はありませんが、江戸初期の岩佐又兵衛の作ではないかといわれています。秀吉と家康の事跡が均等に描かれているのでほんとに江戸初期の初期なんでしょうね。東博蔵・重要文化財。 

春 東京国立博物館のミュージアムシアターで大きなスクリーンでこの屏風を観て以来虜になりました。また入口では複製屏風も展示され、顔をひっつくようにして観ました。本物はこれほど近くからは観られません。そして購入したのが模型の屏風、高さが42㎝ですから四分の一くらいです。この屏風に魅入られた先人が阪大教授の奥平俊六さん、その著「洛中洛外図(舟木本)」を購入、新書は品切れで古書で高値で購入しました。
この屏風にはいっぱい情報が詰まり、尽きせぬ宝庫ですがここでは掛軸を取り出しました。

⑴ 軸物を売る店、掛けてあるのは「神宮仕立」掛軸ともう一つは絵掛軸のようです。床の上に置いてあるのは書の巻物というか、まくりという表装前の作品です。武士らしいものと店の主人が商談をしています。「誰の書いたものや」とか「ちょっとまけろよ」とか言っているのでしょうか。
⑵ 勧進僧 僧侶の一行が掛軸を棒に吊り下げて寄付を募っています。軸には釣鐘が描かれているので、このような梵鐘をつくるので寄付してくれと言っているのでしょうね。銅鑼を鳴らして耳目を集め、柄杓に寄付金を入れってもらって、入れた人の名前を隣の僧侶が書き留めています。掛軸も看板になるとは思わなかったですね。
⑶表具屋?それとも?出来合いの掛軸に佛画や名号を描いているのか、または大津絵の様な廉価な掛軸をつくっているのでしょうか。
いつかこの時代にタイムスリップしたいものです。(2015.6.6)
 軸物屋
 勧進僧
 描き絵軸


夏秋徒然草 90 観〇光 KAN-HIKARI ART EXPO

 麻殖生屏風表
東本願寺庭園渉成園別名枳殻邸を訪れました。我々京都人にとっては枳殻邸は東本願寺紛争のシンボルのようなもので、よく前を通りましたが何か荒れ果てている感じでいました。でも今は事件が解決し、東本願寺に戻り素晴らしい庭園になっていました。京都では御所、二条城に次ぐ広大な庭園です。じつはここで「KAN-HIKARI ART EXPO」が開かれ、私の弟子である麻殖生素子の創作屏風が出展されましたので会いに行きました。彼女は私の最初の弟子で、今やニューヨークのメトロポリタン美術館にも展示される屏風作家です。今回の作品も和紙と木だけでできた十三曲屏風です。数年前からこのEXPOがはじまり三十数名の芸術家が京都で三か寺5月6日まで、鎌倉では5月17日から26日まで開催されます。場所は滴翠軒です。観光に来ていた子供たちがこの屏風を観て迷路みたいと言っていました。
 
KAN-HIKARI ART EXPO

なお渉成園は「綜芸舎」HP日々好日で紹介します。(15/5/5)
 麻殖生屏風裏 麻殖生・夏秋


下左は杉本晋一の絵画、下右は秋濱克大の金工作品です
 杉本  秋濱


夏秋徒然草 89
 DOMANI・明日展

 屏風

文化庁の研修制度で海外派遣の新進芸術家の17回目の展覧会で特に目を引いた2点を紹介します。入江明日香の多色刷の銅版画、色彩豊かな現代アートを日本の伝統の美術装飾形態で展示されたことは素晴らしいことです。入江明日香は東京出身でフランス留学しています。
 軸
 金閣寺
岩崎貴宏の範疇は造形作家なのでしょうか。左の作品は見えない湖に浮かんでいる金閣寺であり、銀閣寺です。これには驚かされました。全て檜材だそうです。超絶技法です。
さて同じ作家が作ったとは思われないミニチュアの世界、素材は雑巾を墨汁で染めて作った石油コンビナート。雑巾からとれた糸を固めて塔やパイプを作っています。脱帽!
 コンビナート

岩崎貴宏は広島出身でイギリスに留学しています。なお他に10人参加。

また保存修復は陶磁器、製本装幀、金属の三人です。

 なおDOMANI・明日展は新国立美術館で2015年1月25日まで開催。 (2015.1.1)

夏秋徒然草 88 後山山荘

鞆の浦
史迹美術同攷会一泊旅行は10月22日9号台風の接近の中、鞆の浦で一番高い場所にある後山山荘と医王寺に登りました。89歳の方を残して30名の方が行かれました。
後山山荘(うしろやま)は建築家・藤井厚二(福山1888-1938)が兄・与一右衛門のためにつくった昭和初期の鞆別荘を、現代建築家・前田圭介が受け継ぎ再生(2013)させた建築です。京都・大山崎の藤井厚二の自宅「聴竹居」と同じデザインのサンルームがあり、天井に排気口があるなど藤井厚二自らが興した環境工学の考え(日本の気候風土に合った日本人の身体に適した住宅)を示しています。西側の山手には、藤井のデザインによる日本庭園があり、四季折々に変化を見せるモミジを中心とした植栽、花々の移ろいを楽しむことができます。奥の木陰には「禽浴の滝」があり、小鳥が水浴をする姿が見られることもあります。(20141111)
医王寺

後山山荘のお隣には医王寺があります。平安時代の弘法大師の開基と伝えられる真言宗の寺院です。本尊は木像薬師如来立像で県の重要文化財に指定されています。慶長年間(1600年頃)福島正則が藩主となり、鞆城代大崎玄藩がこれを再興しました。医王寺から鞆の浦を望むとなにかやはり不穏な雲の形です。




夏秋徒然草 87 聴竹居

鞆の浦山荘神無月、大山崎の聴竹居に行きました。戦前日本で初めて環境にあった住宅を身をもって示した建築家藤井厚二の代表住宅建築です。大山崎は利休の残した茶室待庵があり、大山崎山荘があり、とってもお世話になった建築史で著名な福山敏男先生の御宅があったところで、何度も寄せてもらっていたのに聴竹居には初めてお邪魔しました。また藤井厚二の最後の建築「扇葉荘」は我が家のすぐそばで、寄せてもらったことがあったのにその頃は藤井厚二を知らなくって庭だけ拝見しました。今は金剛能楽堂になってしまって残念です。さて1012日には鞆の浦の藤井厚二がお兄さんのために建てた後山山荘を見に行きます。聴竹居の内部をたくさん撮影しましたが公開できないのが残念です。そういえばちょっと前に天皇皇后陛下が来られたそうです。個人の御宅に来られるのは珍しいですね。藤井厚二は49歳で亡くなりましたが、お子さまは二人ともご健在で90歳以上だそうです。サンルームからは下の方に待庵、そして淀川が見渡せます。紅葉すれば素敵でしょうね。(2014.10.5)


夏秋徒然草 86 四頭茶会

 建仁寺
 今年春、東博で「建仁寺展」を見たとき、館内で四頭茶会(よつがしらのちゃかい)の模様が上映されていて、日本文化の一つの頂点と言われる茶道に至る道が垣間見られました。
お茶は建仁寺開山栄西によって禅とともにもたらされ茶祖と言われていますが、実際はもう少し古く800年代中国から入っていたみたいですが、それより栄西は「喫茶養生記」を表し、禅の中での作法を伝えたことが今日の茶道の源流になっています。
この四頭茶会が禅の中での茶事のもととして今も栄西生誕法会として連綿として続いています。四頭とは東西南北に四人の正客と相伴客に茶を振舞います。振舞う茶を特為茶と呼び、普通に出すものは普茶といいます。さて正面に三幅対の掛軸を掛け、お菓子と天目茶碗を各客前に置き、茶碗の中には抹茶(粉)が入っています。僧が瓶口に茶筅を挿した浄瓶を持って入堂し、客人が捧げ持つ天目台に載せた天目茶碗に湯を注いで茶筅で点て、客はそのまま飲みます。ようはいまでいう茶道の亭主にあたる僧が、お湯をついで回り、その場その場で茶筅で茶をたてるわけです。ものすごいスケールの大きな茶の作法ですよね。
「太平記」巻 33「公家武家栄枯易地事」には戦国のバサラ大名佐々木道誉らによる茶寄合の記述があり「曲ろくの上に豹・虎の皮を布き、思々の段子金襴を裁きて、四主頭の座に列をなして並居たれば」と見え、椅子式すなわち唐礼による四主頭をもてなす形式がうかがえます。なお道誉は別の記述に庭の木々に掛軸をいっぱいぶら下げたなんてこともやっています。
禅の茶を一般化した寄合から、利休の侘茶に進み、大きな場所で喫茶されたものも、茶室という小さな空間で数名で飲むお茶の道が生まれていきます。日本人の持つ外国文化を日本化する最たる例ですね。(2014.8.8)
 茶会 
 建仁寺は京都東山の花街祇園の真っ只中にある、臨済宗本山で重文の方丈はもと広島の安国寺から慶長四年(1599)移築。7月13日史迹と美術同攷会で永井規男先生から建築に関してはレクチャーを受けました。なお霊洞院(僧堂)の禅僧の衣が継ぎはぎだらけでいかにも禅僧らしく、祇園花見小路をあるく舞妓との対比が何とも言えない諸行無常感を出していました。 


夏秋徒然草 85 岡田美術館

 浮世絵  箱根の岡田美術館に行きました。喜多川歌麿の雪月花三部作の一つ「深川の雪」、戦後行方不明になっていたものが発見され修復後ここで展示、今月末までだったので慌てて見に行きました。開館時だったのですぐにはいれましたが、びっくり仰天のセキュリティー。携帯電話、カメラ、飲み物までロッカーへ、前もって若干の予備知識があり、すべて車の中においておきました。ついで空港と同じようなゲートをくぐります。荷物は別にスキャンされます。ボデーチェックはされなかったが物々しい警戒です。これはやりすぎだと思っていたのですが、館内に入ると通常どこの美術館にもおられる警備員というかガイドというか椅子に座って見張っている方がいません。東博の方が、写真禁止の場所でも勝手に撮るやからが多い、注意するとトラブルになったりすると言っておられたが、これでトラブルは防げます。経費も削減できるし、一日中館内で警備するという若干非人道的な仕事もなくなり、なかなかのものだと感心しました。
「深川の雪」は巨大な掛軸で見ごたえがありましたが、それ以上に驚いたのは他のコレクションです。陶器から掛軸、屏風、古代から近代まで素晴らしい作品が展示されていました。今まで見たこともない作品も多く、以前はMIHO美術館を一押しにしてましたが、これからはここが一押しですね。なお屏風の下端にライトの影が出ていたのは気になりましたが、掛軸を斜めにかけて、全体に均等なライティングにしたのは良い展示法でした。またあちこちにモニターを置いて作品と説明が繰り返し見られるのはイヤホーンで聞くよりはるかに進化しています。ぜひまた来たいところです。次は秋の天気のいい日、ここと成川美術館、山のホテルでランチしたいです。
写真は巨大な壁画、「風神雷神」ですが現代作家の作品です。この前にベンチがあり足湯ができます。やはり箱根ですね。駐車場のところに大きな竹がぶら下がり、お湯が流れていたので何かと聞くと温泉を冷ます装置とか。(2014.7.7)
  
 岡田

夏秋徒然草 84 赤富士と戦車

  富士と戦車
  北斎赤富士
   葛飾北斎「富獄三六景 凱風快晴」(1830)
 かって東京の教室に参加しておられたTさんが描かれた「赤富士と戦車」を掛軸にされました。もともと設計者だったので絵がとってもお上手です。その前に描かれた「天草四郎」という絵も素敵でした。軸になってから10年経ちました。陸上自衛隊の富士演習場は映画のロケになったりして有名ですが、赤富士と戦車の組み合わせは特異です。今年は富士山が世界遺産になり平和な日本ではありたいですが、きな臭い世界情勢でもあり、戦車も重要度が増してると思われましす。でも最近はキャタピラでないタイヤ式の車両が主体になるらしく、戦車は若干時代遅れかもしれません。

しかし今年1年平和でありますようにと真っ赤な富士山に祈ります。(2014.1.1)


夏秋徒然草 83 今年の大文字

大文字   お盆最後の京都大文字送り火、今日はどこから観ようかな?と思ったらお椀の中に大文字五山、これは近くの本田味噌のいちわん味噌汁、なかなかの出来です。お湯を掛けると五山が消えてしまいました。ふるまった方々から喜ばれました。
それにしても昔は歳末白味噌が大賑わいで、それに対して夏は暇と見えて、掃除したり、樽を直したりしていました。大きな木の樽をなおしに来るおっちゃんの傍に座りこんで見ていた記憶や、店に入ったところにあった天井からつるした天秤はかりの記憶がありました。天秤については数十年前インドのカルカッタ(コルカタ)で商店街を通ったら、あちこちに巨大な天秤があってインドにもあるんだと思ったものです。
その本田味噌が今は綺麗な店になって、冬だけでなくこの二三日も大賑わいです。傍のとらやにもたくさんの車が来て、賑わいはいいけど、ちょっとこちらはうんざりしています。

今年は京都御所乾御門から見ました。木が大きくなって年々見にくくなっています。 (20130816)
 和菓子

夏秋徒然草 82 祇園祭占出山

   祇園祭
今年の祇園祭は宵山の前が連休で随分人が来ました。巡行は快晴の中でしたがテレビでみました。ところで占出山は12番目、前の方だと安産という言い伝えがあるのでこれから生まれる方はご安心を。
占出山は神功皇后が新羅を妊娠してたのにもかかわらず討伐したスーパーウーマンにならって安産の山、今年は山の側面を飾る水引というタペストリーが180年ぶりに龍村織物で復元、刺繍を施した豪華なものです。ところで今まできずかなかったのですが見返りは三角縁神獣鏡の織物だったのですね。
子供たちが歌う昔から続く蝋燭販売のコマーシャルソング、いまや別の鉾や山まで真似てます。
「♪安産の~おまもりは、ここよりでます。蝋燭一本けんじられましょ~♪」(2013.8.8)

夏秋徒然草 81 葵祭

葵祭1   
今日は葵祭でした。すっかり忘れていました。ということでいつもは御所で出立を見送るのですが、今日は賀茂の堤防で。ここ賀茂街道もロケーションとしては素晴らしいところです。ずーと上り坂なので、牛さんも大変、ということで後ろから助っ人が押していました。牛車ならぬ人牛車どすなー。まーあそれにしても暑かった。(2013.7.15)
 葵祭  葵祭

夏秋徒然草 80 西新井大師から川崎大師へ

スカイツリー 

スカイツリー


西新井から東武スカイツリーラインに乗るとスカイツリー駅、外から見上げるだけにしようと降り立ったら、あまりにも近くで写真に収まらない。今なら10分で入れるとのことで予定変更して登ってしまいました。雲一つない快晴なので富士山が霞みながら見えました。超近代建築の中に屏風(江戸一目屏風)今日のお目当ての上野の方を見ると、浅草との距離があまりにも近いのでビックリ、これでは江戸っ子が「鐘は上野か浅草か・・・」と言ったのもわかる気がしました。ところでツリーのてっぺんからのトイレもいいもので、江戸はおれのものだ! トイレに入ってきたお父さんと小さな女の子、「パパ大好き〜」パパさん幸せだね。 

東京国立博物館東洋館 スカイツリーから出ると、空から俯瞰した浅草を過ぎて上野へ。東博のリニューアルオープンした東洋館、お昼時でランチ、綺麗になった分高くなりました。ちょうど地下では映像ホールで「三蔵法師の十一面観音─インドから唐、そして法隆寺、興福寺、薬師寺へ─」の映像を観ました。最初の今日の推薦展覧物の重文・青磁輪花鉢(南宋官窯1213世紀)の紹介の後、映像がスタート、心地よい音楽と解説、食事の後でもあって不覚にも終わるまでウトウト、結局三蔵法師は何を日本にもたらしたかはわからずじまいでした。
その後、館内で推薦の青磁輪花鉢を観ました。大きな貫入というひび割れは巨大なスクリーンでもわかりますが、極細の白い貫入は実物を見ないと全く分からないものです。12世紀の最高傑作といわれる青磁をまじかでみられるのは素晴らしいことですね。 私は東洋館では中国の石仏と画像石を観るのが大好きです。今回は山東省慈雲寺にあった「西王母・馬車・狩猟」この中の狩猟の場面では兎が狩られています。2000年前から狩られているウサギ おお!なんということよ。上野のお山は人いっぱい、ここも綺麗になった噴水周りではパキスタン友好の集いをやっていました。    

 スカイツリー
 スカイツリー
 茶碗
 
 紫舟 紫舟展
新宿特に東口に降りたったのは十数年ぶりです。毎月来るのに通過点でした。さくらカメラがあったところはビッグカメラ、その横の高野は地下と5階、1階から3階はGucci、その3階で紫舟さんの展覧会です。彼女に会ったのも数年ぶりです。ますますパワーアップ、背丈も彼女が伸びて私は縮んでいるのをツーショットで発見。金屏風に描くことに挑戦中、海外に通じる和の素晴らしさを紹介したいとか。やっと気づいてくれてうれしいですよ。
レ・ミゼラブル
東口から歌舞伎町へ、いっぱい映画館が並んでいたところはいずこへ。迷って歩いているとあっちこっちからお誘いが・・・映画館もシネコンの時代では古臭く、しかし懐かしい、指定全盛の時代に自由席、並んではいりました。
レ・ミゼラブルは素晴らしく、涙の中でエンディング。でも出だしは何と汚い場面と人々、これが近世のヨーロッパだったのでしょうが、かってのアメリカ映画だったらもっときれいに撮ったでしょうね。そういえば去年の「清盛」汚いと騒がれましたが、それどころではない汚さですですが、最後にはそんなことすっかり忘れるほど感動するわけですから、清盛も一話ずつ感動させるか、数話で綺麗にすればもっと良かったのではないかしら・・・。映画のストーリーの後半、男を愛するコゼットともう一人の女の葛藤が描かれますが、私は恋のみのらない女性にいたく肩入れしてしまいます。古い小説で申し訳ないが井上靖の「氷壁」の小坂かおる(映画では野添ひとみ)に惹かれました。また村上春樹の「ノルウエーの森」のミドリも良かったです。 映画が終わって新宿から川崎に着くとソコもヒトヒトヒト。ああ疲れました。
晴天の霹靂
西新井大師から川崎大師まで、その間の道草をした次の日、川崎から少し混雑した電車に乗り立っていると、前の座席の50代の女性が立ちあがって、「どうぞお座りください」 ガガガ~ン! 初めて席を譲られました。「イエイエ ツギデオリマス」、白髪のポニーテールですから年寄りには違いありません。でも今まで一度も席を譲られたことのない身としてはちょっと落ち込みました。ちなみに東博では無料だし、映画は千円だし、都合のいいことは享受していますが・・・(2013.5.1)


夏秋徒然草 79 駆け足の春 梅&桜

今年も異常気象です。寒暖の差があまりにもひどくって、こちらも肩こりと下痢に悩まされた春でした。
でも寒さを押して梅が咲き、そしていつの間にか桜満開、昨日今日(4月6日~7日)は爆弾低気圧とかで散ってしまいそうです。 毎月二度東京京都間往復してますが、いつも目にする「そうだ京都に行こう」今年のポスターは妙心寺退蔵院の枝垂れ桜。毎日いやいや最近は時々ウオーキングしている御所の近衛邸の枝垂れ桜が満開を過ぎようとしていたので、退蔵院も散ってるかなと思って行ってみたら満開まじかでした。9時開門時にはすでに何十人も並んでおられたのは、流石「そうだ京都に行こう」のPRはすごいですね。ところでこの妙心寺は禅宗寺院で塔頭の退蔵院の書院も典型的な中世の書院造りを表しています。右側に床の間があって、左には付け書院、障子から差し込むソフトな光が床の間の掛軸を綺麗に見せてくれます。最近は床の間の天井からライトがついていたりして鑑賞には不向きです。この床の間については6月22日朝日カルチャーセンター川西教室で少しお話ししたいと思っています。(「トコとユカ」講演(2013.04.06)
梅   桜
 京都御所梅林 3月17日  御所近衛邸跡枝垂れ桜 3月30日
   
 妙心寺退蔵院枝垂れ桜 4月2日  退蔵院書院 4月2日


夏秋徒然草 78
 白隠「軸中軸」

先日東京渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで「白隠展」
を観ました。
白隠慧鶴は1700年代に禅を極め普及させた僧ですが、
目を見開いた漫画のような達磨で有名ですね。いまこの
絵が若者にもうけて流行っています。
しかし実際見ると圧倒されるエネルギーは日本を代表す
る画家であり書家であり宗教家であったことをひしひしと
伝えます。
ところでわたしはある点に注目しました。それは掛軸として描かれたであろう作品の中に掛軸が描かれている作品が多いことです。これを軸中軸といいます。中には絵の中に描いた掛軸に落款までしています。掛軸の好きな白隠禅師大好きです。なおHP「拓本」にも関連記事を載せました。(2013.1.30)


夏秋徒然草 77 白沙村荘

   
京都銀閣寺のそばにある白沙村荘は大正昭和にかけて活躍した日本画家・橋本関雪が大正5年に建てた邸宅です。広大な屋敷には画伯自らが作庭した庭園があり、特に庭に点在する石造遺品は素晴らしいものばかりです。
今回は日本表装研究会のひょうほゑ展に合わせて、特別見学会として孫に当たる橋本眞次さんに案内をお願いし、普段はお目にかかれない持仏堂の仏様を見せていただき、また大画室や茶室を見学。お昼には本邸2階で、秋の紅葉を鑑賞しながら京料理をいただきました。この日は紅葉で京都が一番混んだ日でしたが、庭園内は静かで秋の一日を堪能しました。 (20130101)
   
 大画室・在古楼  茶室
   
 待屋  持仏堂
   
 摩崖仏  参加者


夏秋徒然草 76 絵解き 

  印度で起こった仏教を流布するために仏像や仏伝を布に描いて持ち歩いた形が掛軸の源流だと思っています。
それが中国を経由して日本に定着したのです。
掛軸を通した「絵解き」はそういった仏教の流布になくてはならない行為として現代の日本にも受け継がれています。春には京都の寺院で地獄極楽の絵解きを掛軸を観ながら聴きました。
さてこの「絵解きってなぁに」展が京都の龍谷ミュージアムで11月25日まで開催されています。とってもユニークな展覧会で良かったと思います。
この龍谷ミュージアムは昨年四月西本願寺前に開館した新しい仏教美術の美術館です。今回初めて訪れました。
ところで気ななったことは、ポスターや会場で眼に着くイラストです。熊野比丘尼が掛軸絵を説いている図なんでしょうね。でもこれって西洋風の掛図で一種のタペストリーです。これでは巻いて持って移動できないですよ。掛軸のかたちにしてほしかった。残念です。
写真は「大阪市街図屏風」と「遊行人図屏風」展覧会図録より。(2012.10.18) 
   


夏秋徒然草 75 北村美術館の表具

 
6月10日史迹美術同攷会例会で、京都市の上京区の史跡を探訪しました。午前中は北村美術館へ。40数年ぶりの訪問です。
この美術館の創設者・北村謹次郎さんは吉野の山林王の次男として生まれ、本業は林業であったが、今出川の鴨川西岸に素晴らしい数寄屋「四君子苑」を建てられ、茶道を中心に美術品を蒐集、亡くなられたあと北村美術館として現在は春秋に公開されています。
北村さんとは三度お目にかかり、一度はお話しを聴き、二度目は邸内の重要文化財の灯篭と手水鉢の拓本を採らせてもらい、三度目は父とともに訪れ、これも重文の鶴の塔(宝筐印塔)の撮影をさせてもらいました。
その後、北村美術館が「茶道の美術館」として創設されたため、あまり行く機会がなくなり、北村さんも平成3年には亡くなられ、縁遠くなり今日まで四〇年以上足を踏み入れていませんでした。
今回は父藪田嘉一郎の友人で、故川勝政太郎先生が創設した史迹美術同攷会例会で、特別に住居まで入って鑑賞できたことは、かっての訪問を思い出して感無量のものがありました。
  さて北村さんが蒐集した素晴らしい美術品は多岐にわたりますが、ここでは表具についてお話しします。
茶道にとって掛軸はなくてはならないお道具です。好き者であった北村さんも掛軸をとっても大切にし、自らの好みを反映させました。なかでも和漢朗詠集断簡で小倉山切「松」と「慶賀」と呼ばれる藤原為家筆(伝)の二幅の掛軸は、手に入れた本紙に北村さん好みの仕立てをしたそうです。
「松」では一文字は紫地印金、中廻しには古い帯地で鹿や霊芝が刺繍縫されています。また風帯もこの帯地が使われています。外縁は白地に鶴が織り込んである緞子か支那綸子ですでしょうか。
かってこのHPで紹介した陽明文庫の有楽院表具に通じるものがあります。多分北村さんは江戸初期の近衛家ひろにあこがれたのでしょうね。
北村さんの言葉に「うぶ表具に勝るものはない」作品と同時期に仕立てられた表具はその時代を表しているので下手に替えるなということです。しかし汚れや破損しているものはそのかぎりではないとのことです。(2012.8.5)
参考:綜芸舎 宝筐印塔・五輪塔そして北村謹次郎さん
    拓本 ギャラリー31北村美術館と拓本
参考資料:「北村美術館 四季の茶道具」(淡交社)


夏秋徒然草 74 世界が恋した日本のデザイン

 東京駅  二階建てバス  伊勢型紙に代表される型紙はテキスタイルにはなくてはならないデザインです。日本の着物の緻密で繊細な色と形はこれなくして語れません。その型紙が19世紀末デザインに行き詰っていたイギリス、そしてフランスに驚きをもって受け入れられ、あらゆるデザインに浸透していった様を紹介した展覧会が三菱一号館美術館で開催されました。

東京駅正面の改築は今年10月に完成する予定で、往年の姿が甦っています。その前の外堀道を南に進むと三菱一号館にでます。明治27年英国建築風に建てられた日本最初の貸しビルだそうです。たまたま前に止まっていた二階建てバスがいかにも英国風ですね。でも現在の建築基準法に合わすため相当大変な改築が行われたそうです。東京駅もそうですよね。全く小さなことですが我々の表装修復も見えないところで努力しています。
内部は美術館や博物館としては部屋が込み入っていて見にくい部分も ありますが、雰囲気がいいので落着いて観られます。
二階の窓から中庭を観ると陽ざしを受けキラキラ光っていたので、中庭に出て噴水の縁石に座って珈琲を飲みました。皐月の清々しい風が薔薇の花を吹き抜けて行きます。前のベンチではOLがサンドウイッチを食べています。横を観ると、就活でしょうかお決まりのスーツを着た女性がノートをとっています。その前を乳母車を押すお母さんが通り過ぎて行きます。
私と言えば、ボーッとしばし休憩。この後は銀座の教室です。
 三菱表  三菱中庭
 三菱上から  薔薇


夏秋徒然草 73 イングリッシュガーディナーと京庭巡り

 

昨年国際交流基金で英国最古の街チェルムスフォードにあるエセックス大学のリットルカレッジで日本の屏風などのワークショップをした時世話になった先生で庭師でもある方が、日本の留学生を受け入れる準備に来られた中で二日間休みをとって京都に来られました。計画では桜満開の中社寺を廻る予定でしたが、時期外れの寒さで桜なく少し残念でした。
ところで私は簡単な英語は通じるのですが、庭の説明などは到底できないのでボランティアの通訳を頼みました。彼女は二十歳前の女子大生で、京都のことをほとんど知らなかったので二人を案内する結果になりました。でも夏からアメリカに二年留学するとのことで、日本文化を少しでもわかってもらえて良かったです。

一日目

九時半三条のホテルに迎えに、ここは下隣が絵ハガキの店、上隣が知合いの京町屋。向かいは日本一二の表具屋、なんといいところですね。
今日、午前中は平安神宮の名勝庭園へ。雨が降ったりやんだりの中を案内。渡殿で雨宿りしていると瑠璃色のカワセミが近くを飛んで彼はばっちり撮影、英国に帰ったら学生に見せるとか。また対岸の貴賓館に入る花嫁を発見。幸先いいですね。
次はこの庭園を造った明治時代の庭師・小川治兵衛(七代目植治)の研究家で京都造形大学教授であった尼﨑さんを並河七宝館に訪ね、紹介しました。そこには先生の生徒のセルビアやフインランドやアメリカなどの人が加わって楽しいひと時を過ごせました。なおここの庭は植治の最初の作庭と言われています。
午後は植治の代表作である無鄰庵へ行くので、ランチはお隣の瓢亭へ、庭を観ながらと思ったのですが、時間がなく別館での京料理喜んでもらえました。
山県有朋の無鄰菴は京都の庭園にしてはとっても開放的で明るいところです。水をいかにうまく取り込んだかを説明しました。
ここからはタクシーで詩仙堂へ。英国から来る前から訪れたかったところだそうで、嬉々として庭園を回りました。特にあちこちに咲いている花々に、これは我が家にもある、これはキューガーディンにもあると説明してくれます。ラテン語らしくって、通訳ができません。そこでデジタルカメラで撮影し、受付の方に聞くと、これは「ショウジョウバカマ」でした。学名はHeloniopsis orientalis。彼は世界遺産のロンドンのキューガーデン(Royal Botanic Gardens, Kew)の庭師でもあるとか。
最後は鹿ヶ谷の造園業植弥を訪れました。ここは1848年創業の造園業で、若き社長は八代目、なんと60名もの庭師を使って、南禅寺や修学院離宮やお昼訪れた無鄰庵の管理も任されています。ここではベテランの何度もイギリスに渡ってイングリッシュガーディンの研究をしてきたスタッフの女性が通訳をしてくれたので助かりました。
疲れました。ティータイムも忘れていたので、最後は彼のホテル近くのイノダでコーヒータイム。
夜はやはり近くの河道屋晦日庵で芳香炉、お酒も少々、通訳に貴女も・・・と言ったら、「私19歳です」すっかり忘れていました。(good night

 01 平安神宮庭園枝垂れ桜  02 並河邸 イギリス・セルビア・フィンランドETC
   
 03 瓢亭  04 無鄰菴
   
 05 詩仙堂 猩々袴  06 イノダ
   
 07 晦庵  16 詩仙堂苔に椿
 
 08 錦 09 東福寺開山堂
     
二日目

今日も寒い一日です。ホテルを出て、少し歩くと錦小路 京都で最も有名なバザールです。あちらこちら見ながら寺町まで。途中緑茶を買ったり、暖簾を買ったりしました。
そこから東福寺へ。ここには八相の庭があります。近代作庭家として著名な重森三玲さんの作った庭です。紅葉の季節ではないので閑散としてゆっくり見学ができました。
特に開山堂の特異な形はいつみてもいいですね。ここの江戸中期の庭も好きです。
ここからタクシーで南禅寺へ、運転手が近廻りをと言って通ったところが、大和大路を南から北に抜ける道、この日の一週間後同じところを通った車が人をはねたなんて、どんなに早く走っても二三十キロが限度の道なので信じられません。
南禅寺では当初方丈の小堀遠州作の庭園を観る予定がこの日は拝観中止で観られません。ということで三門に上がって上から俯瞰、ついでに石川五右衛門の説明、ロビンフッドみたいな義賊だよと言ったのですがわかったでしょうか。
 10 東福寺庭園  11 金地院東宮堂
   
 12 南禅寺三門より 七分咲き  13 西村石灯呂

 次に金地院、ここも小堀遠州の庭です。面白いのは徳川家康に近侍した金地院崇伝の威力で家康の遺髪を収めた東照宮(重文)があることです。
南禅寺には琵琶湖の水を流す水路閣もあって、賑やかなお寺ですね。しかしこの水が東山一帯の別荘地に作られた植治の庭にはなくてはならないモチーフになったわけですね。
ランチは当然湯豆腐、どこも満員、やっと入れたのが五右衛門湯豆腐、三門で説明したばかりの店で面白かったのですが、「ご飯がたらへんから、今炊いているのでゆっくりたべてや。」
大将人形が飾ってあったので説明していたら、彼が「ビユーテフル・・」と言ったのを聴きつけたおかみさん、「いやーうれしいわー」あんたにいったんとちがうしー。最後は北白川の西村石灯呂店へ。いつもはお父さんと話をするのですが、今回は息子さんの六代目に会いました。まず石置き場の石灯呂群を見学。鎌倉時代から現代まで百体以上ある石灯呂にはびっくりですが、今回は詳しく説明してもらって良かったです。

最後はゲストルームでいろいろなお話を聞きました。特にイサムノグチとの関係を伺いました。イギリス人は知っていましたが、通訳はこのイサムノグチがわかりません。真ん丸な岐阜提灯デザインした人、山口淑子(リコーラン)と結婚した人、魯山人と親交のあった人といってもわかりませんでした。
さてイサムノグチは重森三玲さんの紹介でこの西村さんのとこに来て作品を作ったそうです。といっても彼は石膏型を作って、それを西村さんたち石工が手彫りで彫ったそうです。今もここにはイサムノグチの作品が数多く残っています。
最後は我が舎に、といっても遅くなったので玄関先まででした。「お茶漬けでもいかがどすか?」というわけにもいきまへんでした。
この日もティータイム抜きだったので、締めはやはりイノダの三条店、二日間何とか乗り切りました。(Good bye

京の「
OMOTENASI」いかがどしたやろ。

イギリスに帰った彼からメール、日本での最高の二日間だったとか、とっても喜んでいました・・・と思います。(翻訳があっていれば?)

次イギリスに行った時は泊まれる場所が確保できたことは確かです。
それにしても友人はありがたいものです。造形大の先生、庭師、石工感謝しています。(2012.04.30) 



夏秋徒然草 72 ボストンの蕭白

 
 
 
 東京国立博物館ボストン美術館日本美術至宝特別展に行きました。春休みなので上野公園は凄い人出、でも手前の国立科学博物館のインカ展に吸い込まれて、あれあれ、東博は空いていました。一月の中国故宮展のようにまたもや行列かと思っていたのですがね。中国展は清明上河図のみが目玉で、わたしも他の展示は素通りといったところでした。

ボストン展は日本にあれば国宝、重文がザクザクという感じの素晴らしい展覧でした。仏画に関心のある私としてはそれだけ見たらいいなあと思っていたのですが、最後の最後の曽我蕭白の絵画群を観て、すべてが吹っ飛んでしまいました。劣化を防ぐため、仏画の展示では薄暗い照明のため、インパクトはあまり感じられず、巻物も近づいてじっくり見られないなかで、最後のところに来て「蕭白」、今までの展示品を全て忘れてしまいそうなインパクト。ポスターになっている困った顔の龍は大襖8面、このスケールには度肝抜かれました。
なかでも気に入ったのは「商山四皓図屏風」、大胆な筆致で描かれた人物と詳細に描かれた松の葉の対比、また「雲竜図襖」の左端の黒雲の描き方や、丁寧に描いた絵に墨をぶっかけている技法、世界に誇れるアートですね。

ところで先日観たNHKTVのボストン展番組でも紹介されていましたが、「平治物語絵巻」の牛車の車輪注目、止まっている車輪は車輪の骨が見えるのに対し、走っている車輪は渦巻き状に描いてある様が右から左に流れるスピード感を表しています。これなんかはじっくり見ないと分かりませんね。
も一つ、描かれている甲冑の武士たち、馬に乗っている上級武士に対して、徒歩で走っている雑兵たちは、上半身は甲冑付けているのに、下半身には何も履かず裸足です。このまえNHKの「清盛」は汚すぎとけなしましたが、下級武士は裸足でいるような世界だったのでしょうか。それとも逃げるのに忙しくって履く間もなかったのか。
「平治の乱」はまさしく松山ケンイチ清盛と玉木宏源義朝の戦、展示の「三条殿夜討巻」では義朝が阿部サダ信西を討たんと急襲、逃げまどう公家や兵士、女官がものすごいスピードで右から左に流れて行く様は絵巻物でしかなしえなかった描写ですね。また三条殿の燃えている様、その紅蓮の炎の描写は古今東西最高ではないかしら。
この展覧会はこの後、名古屋、九州、大阪と廻ります。京都にはこやへんで!(2012.3.31)


夏秋徒然草 71 清明上河図


何十年か前、この作品をテレビで観て、これはすごいと思っていましたが、日本で観られるなんて想像もしていませんでした。
今回 日中国交正常化40周年記念で東京国立博物館で3週間展示されるということで、1月11日朝8時過ぎから並んで観ることができました。10番目くらいだったので、並び直して二回も観られました。そのあとは200分以上待ちだったので幸運でした。
30㎝位顔を近ずけて、眼を皿のように開けてくっつり鑑賞できました。やはり神品といわれるのもわかる精密さで、40㎝巾で5mの長さの巻物の中に、中国北宋(10世紀)の街と人々が詰まっていて、まるで動き出しそうでした。たしか上海万博では映像化してましたね。
絵巻の中には800人の人と街と舟が描かれていますが、米粒ほどの顔が生き生きと描かれている様は神が描いたようです。実は徽宗皇帝のために張択瑞が描いたと言われています。末尾が途中で切れたようになっているので、本来はもっと長巻だったのではないでしょうか
(2012.02.01)


夏秋徒然草 70 
英国アルバム

2011年6月17日から23日までイギリスのロンドンとケンブリッジを訪れた時のアルバムです。日本の伝統文化を伝える目的で、国際交流基金を得て、筆グラフィーと俳画、そして私は表装と拓本をイギリスのアーティストに対してワークショップをしました。その中で一日は休日をもらって、大英博物館やロンドン市内を観て回り、とっても有意義な訪問となりました。また英国民から東日本災害に対する援助や言葉もいただきました。あらためてお礼申し上げます。(2011.12.30)

   
 01 ロンドン市内・にわか雨  02 大英帝国皇太子・皇太子妃
   
03 コーンウエイホールでのワークショップ   04 シャーロック・ホームズパブ
   
 05 テームズ川に沈む夕日をバックに  06 トラファルガー広場の天使?
 
 07 バッキンガム騎馬隊  08ロンドン塔から超高層ビル・ガーキン  
   
 09 アービーロード  10 ウィリトルカレッジ・ワークショップ
   
 11 ケンブリッジ・バラナバスプレス・ワークショップ  12 葉っぱの拓本(葉拓)
   
 13 ケンブリッジ・グランチェスター  14 大英博物館 寄付箱(入場無料で寄付で運営)



夏秋徒然草 69 中村正義展

     
舞妓 1958 舞妓 1962  舞妓1976

あまり名前が知られていませんが、数年前から注目していた日本画家・中村正義、個人美術館が仕事で行く東京郊外の新百合が丘の近くにあるのでいずれ行こうとしていたら、なんと名古屋市立美術館で111から1225日まで開催、宿泊中のホテルから歩いて行ける距離なので訪れました。変わった画を描く日本画家くらいしか認識していなかったのですが、若い時から52歳で亡くなるまで220点が展示され、彼の素晴らしい画の全貌が観られました。
若き日の日本画らしい日本画から、暗くなったりサイケになったり、具象から抽象・・・素晴らしい絵画群です。なかでもライフワークとなった舞妓に彼の変貌が現れています。1958年と1962年そして1976年の舞妓を並べるとその進化がわかります。私は1962年の舞妓が好きです。220点どれもいいですが、もっとも心を打たれたのは抽象的な絵ではなく、1964年映画「怪談」(小林正樹監督)のバックに使われた「源平海戦絵巻」の巨大な作品です。特に「玉楼炎上」平家の敗退で幼い安徳天皇や尼の入水の場面の凄さは図録等では表されない、直に見ないとそのすごさはわからないものです。いま山口晃や山本太郎がもてはやされていますが、こんなすごい画は描けないでしょう。もう一度見たい!12月4日紅葉する京都大原寂光院を訪れ、そのとき命をとどめた建礼門院を弔いました。(2011.12.10)



夏秋徒然草 68 ジパング展

 青幻舎刊


伝統と現在をつなぐ・・・ジパング展が東京、大阪、京都の高島屋で開催され、先日のぞきました。私の
30年かけて追い求めてきたのも伝統と現代をつなぐ掛軸作りだったので期待いっぱいの展覧会でした。花鳥風月にとらわれない、また日本画や油絵などといった範疇をはみ出た作品群はそれぞれ素晴らしいものがありました。31人の作家たちも今や気鋭の作家として地位を確立してきていて、世間に認知されたことは喜ばしいことです。今まで目にしてきたのは池田学や束芋、天明屋尚、山口晃や山本太郎くらいでしたが、31人もいるとは思いませんでした。
さて相変わらずのうさぎコレクターとしては陶芸・上田順平の「ウラシマピーターパン」。また模型の家の奥に映像で台所料理をしている束芋の「にっぽんのちっちゃい台所」、違和感がないのは雪に埋もれた集落を描いた南条嘉毅「宇津の谷峠」、やるなーと思ったのは山口晃の「歌謡ショウ図」半分だけ描いて後半分は鏡に写す手法、舞台って確かにシンメトリーですものね。
彼のもう一つの作品は「山乃愚痴明抄」、戦国時代と現代をごちゃまぜにした世界は彼の得意とするものです。顔をひっつけるようにして眺めた絵の中に、疑問が一つ解決した部分がありました。彼の絵の多くに描かれている前が馬で後ろがバイクというものがあります。これは作り物の馬にバイクをひっつけたのかと思ったのですが、今回この絵の中に、馬を半分に切っている部分が描かれていて、なるほど本当の馬にバイクを付けたんだとわかりました。これって残酷?なおビルの上に茶室があったりするのは、よく考えれば日本の多くのビルの上にお稲荷さんが祀られている姿を見てきた我々にとってはあまり違和感がないですよね。
山本太郎の「隅田川桜川」の能のシテが掃除機で波を吸い取っている図はとっても面白いと思いますが、「伝統と現代をつなぐ」を本来の日本画に掃除機を置くというような発想はへたすると安易な方に流れやすい危険があります。どう発展していくかこれからが難しいでしょうね。(2011.10.20)

    
 
上田順平「ウラシマピーターパン」
 
山口晃「山乃愚痴明抄」
 山口晃「絵馬図」




夏秋徒然草 67 絲綢之路

   

徒然草66でお話ししたように、夏秋表装教室で受講生から頂いた義援金は文化財保護・芸術研究助成財団に送金したところ、季刊誌「絲綢之路シルクロード」2011夏に「日本表装研究会」の名が記載されました。
赤十字義援金の配布が遅れている現在、東北の文化財修復という目的に絞って寄付しましたので、少しでも役立てばうれしいことです。
寄付した有名な団体の中で、わずかな金額ですが、胸を張って報告します。(2011.7.23)
   


夏秋徒然草 66
  東日本大震災

東日本大震災により被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

日本経済新聞3月28日によると東日本の大震災で400件にわたる文化財が被害を受けました。なかでも津波被害で岡倉天心の「五浦六角堂」が消滅したことは残念なことです。
天心はフエノロサとともに日本美術を世界に広げた功労者で、また「茶の話」は茶道文化を世界に広げた本で、私の座右の書でもあります。
博物館や美術館に収まっていない、多くの書画骨董や歴史資料はどうなってしまったのでしょうか。人命救助、そして被災地の復興が最重要課題ですから、それらは多分後回しになるでしょうね。人類の遺産は海に流れて二度と戻らないかもわかりません。少し落ち着けばせめて破損や水没した書画の一つでも修復でいないかと・・・そのとき私もお役に立てるのではないかと思っています。


被災文化財の救援,修復・保存に関する寄附金・義援金
      文化庁 公益財団法人文化財保護・芸術研究助成財団


私の表装教室の受講生に声をかけて募金を集めました。88名から義援金を受け取りました。わずかワンコイン募金で50500円も集まりました。文化財の修復に使われればいいと思い文化庁に義損しました。
(2011.04.19)

なお500円はこれからも東北地方とご縁があるようにとの思いです。
マスコミでは「絆」がキャッチフレーズのようですが、

京では絆なんて固い言葉でなく「ご縁」の方がよろしいおす。

夏秋徒然草 65
  The Matsuri

  これって御祭り、お祭りではなく「おんまつり」・・・奈良春日大社の祭礼です。日本で数々祭りはあれど、「おん祭り」といえばこれしかありません。むかーし祭礼の行列を猿沢の池あたりで見たことはあったのですが、夜の祭りは初めてです。

祭りの中心行事は17日午前0時の遷幸の儀から午後0時の還幸の儀までの24時間ですが、さすがそこまでの体力気力はないので、各種芸能のもととなった神楽や猿楽のなかで、舞楽を観ました。

8時奈良公園は月明かりのなか鹿があちこちにたむろしています。それに引き換え人はまばら、まつりってあるのかなーなんて心配になりました。知り合いの奈良の人ほとんどが観たことないと言っていますので心配です。春日神社鳥居に近づくと「ドーン~ドーンー」と響いてきました。お旅所に来ると多くの人の取り囲む中で、巨大な太鼓の音が鳴り、笙・篳篥(しょうひちりき)が奏でられ、舞人が舞う雅楽が奉納されていました。
神が入られた御宮の前の芝生の上で舞う舞い、空には月、そして舞台の周りにはかがり火、腹に響く太鼓が一瞬にして太古の世界に誘ってくれました。
蘭陵王=左舞は北斉の舞いでインドから伝わったといわれるもの、散手=左舞は勇壮な武人の舞いなど、これほど素晴らしい雅楽を観たことはありませんでした。

京都に帰る電車がなくなるので途中で帰りましたが、来年は寝袋もって、真夜中の暗闇の中で執り行われる遷幸の儀を観たいものです。
それにしてももっと多くの人に見てほしい・・・でも鞍馬の火祭みたいに大勢来るのもいやだなーと思いました。
なおNHKテレビでこの祭りの詳細を1月放映しました。(2011.02.16)

 


夏秋徒然草 64 円山応挙

 日本橋は三井記念美術館で「円山応挙・空間の創造展」を観ました。近年奇想といわれた画家・伊藤若冲や曽我蕭白に脚光が集まり、同時代の円山応挙は蚊帳の外でしたが、今回は空間の創造というキーワードで甦りました。応挙のパトロンであった三井家が多くを所有していたので、展覧したかったのかもわかりません。平日の日にかかわらず多くの人が来ていたので一応成功でしたね。
オーソドックスで地味なものが多かったのですが、さすがに国宝の「雪松図屏風」は素晴らしい出来で、画の中にすがすがしい空気を感じました。
もう一点「老梅図襖」には応挙の空間が見事に描かれて、3Dを観るような感じをしました。

ところで応挙が世話になった兵庫県の日本海に面した香住にある大乗寺が応挙寺と呼ばれ、165点の重文作品が、観音像を取り巻く立体曼陀羅風に描かれているのは知りませんでした。でも今は保存のため、本物は収蔵庫にいれられ、複製襖になっているとか。残念ですね。
(2011.1.1)


夏秋徒然草 63 竹生島
京都から湖西道路を通って一時間半ほどで近江今津につきます。ここから竹生島行きの定期船がでます。波止場の待合室、二階は総ガラス張りで、真っ青な湖が見えて素敵、もう少し垢ぬけたらコートダジュールか湘南か・・。コートダジュールはいったことないしー!
汽船は40分で竹生島です。船がついて驚いたのは石段です。なんと165段、手すりをもって上がろうとしたのですが、太陽の熱であちちちち・・・自力でゆっくり腰をかばいながら上がりました。
宝厳寺本堂は弁天様が祀られていて、江の島、厳島と並ぶ三弁天、724年行基が作られたという秘仏でお顔は拝めません。お前立ちの弁天さんは1566年浅井久政奉納、こんなぞんざいにおいといていいんでしょうかね、久政の息子長政そして「お江」来年の大河ドラマの中心ですぞ。
なんと今回から寺社詣でには「集印帖」持参することに、前日思い立ち、手作りの集印帖作りました。一応これでもプロですから、少々高い緞子使用。初めての御印、それも西国三〇番、うれしいことに弁天様の印もいただきました。一度で二度おいしい竹生島!
内緒ですが集印帖は見仏記のみうらじゅんのものまねです。
(夏秋表装講座では折帖=集印帖作りを時々開催しています。)

さて誰もが通り過ぎてがらすきの宝物館に入りました。久しぶりの入館者とみえて受付のおじさん、丁寧に解説してくれました。驚いたのは昨日奈良遷都祭から帰ってきたという重要文化財「弘法大師上新請来目録」が身近で見られたことです。この島は自家発電で、この宝物館は経費削減で空調はないそうです。国の宝を蒸し暑い条件の悪い場所で保管してよいのかちょっと心配。
宝物館から少し降りると国宝「唐門」、もと京都の豊国廟から秀頼が移築した桃山建築の粋をあつめた建築です。でもでもあちこちに千社札がベタベタ貼られています。これでは秀吉、秀頼も泣いてます。唐門の奥は観音堂、つづいてこれは重文の「船廊下」、秀吉の御座船「日本丸」の船やぐらでできているとか。どこにも例のない建築です。

廊下を通り抜けると「都久夫須麻神社本殿」国宝です。伏見城の遺構だそうですが、残念ながら修復中で見られませんでした。
そしてその先端には竜神拝所があって、二枚のお皿に名前と願い事書いて、岬の先端の鳥居に向かって投げ、鳥居をくぐると願いが叶う・・・やってみました。鳥居の前に落ちました。微妙です。
また急な石段降りて、船着き場へ出ましたが、一足違いでボンボヤージュ、一時間待ちですが、冷やしラーメン(冷やし中華でも冷麺でもない)食べたり、こぼれおちそうなかき氷食べたりしてるうちに時間立ち、竹生島をお別れしました。この辺りは琵琶湖でも最深部で100メートルあり、竹生島ほとんどタワーのように立っているとか。
この島は本当に庶民信仰が生きている島です。国宝にお札はっても怒られない、貴重な文化財が手の届くところにある、いいのでしょうね。
さいごに「かわう」人のいるところは大丈夫ですが、それ以外は鳥の被害で大変だそうで、6万羽いるとか。ヒッチコックの「鳥」みたいですね。
(2010.09.08)
 
 
 
   
   


夏秋徒然草 62 掛軸の伝統デザイン

 

先月末、山梨県の紙漉きの里市川大門に行った折、泊った旅館、結婚式や法事もできるというキャッチフレーズでしたが、なんか昔の旅籠のようなところでもありました。
まずドアの鍵はありません。トイレはありますが、電燈は切れています。お風呂は共同風呂でしたが、一人っきりの泊り客だったのでゆっくりつかれました。夕食、朝食つき、食べきれないほどでたのに、都会のビジネスホテルの素泊まりより安価だったので、映りにくいテレビにも我慢して二泊しました。昔懐かしい旅館でした。

でも気に入らないたった一点は、床の間の掛軸が間違った仕立て方をしていたのです。たぶん素人さんが作ったのではないかと思いますが、綺麗に掛っているところみると職人の手かもしれません。
形はいわいる「大和仕立」といわれ、三段表装です。一番一般的な伝統ある掛軸の形態です。問題は上部にぶら下がるひも状の風帯と呼ぶものの取り付け位置です。

掛軸は室町時代、利休たちによって一つの形が完成します。人が見て一番美的に見えるデザインを決めたのです。それが今日も連綿と日本の中で続いているのは、地域や時代を超越したセンスがあるからです。そのデザインを外れると違和感を感じます。

ここでは風帯の位置ですが、中央がやけに広いのです。普通は大体三分の一、真中が風帯一本分小さめになるのです。
創作的なデザインではそれもいいかもしれませんが、オーソドックスな水墨画、周りの裂も一般的、その他の形も大和仕立そのもので、風帯だけが斬新的・・・とは思えません。多分間違った付け方をしたと考えたほうが間違いないでしょう。
旅館の掛軸と、丸山応挙の掛軸の風帯部分を載せていますのでご覧ください。

大したことはないんではないか、目くじら立てて言うほどのことないんじゃないかと思われそうですが、いい伝統は残していかないと将来困ることになります。先人の残した文化財が仕立て直しをするときに誤って直されると、一つの文化が壊れます。
特に最近は新聞のイラストや漫画、アニメなどで、風帯の位置や掛軸のデザインにおかしなものが多々あります。イラストレーターや漫画家は比較的若くって、掛軸なんて見たことないなんて人がいるのでやむ負えない面がありますが、でもよく調べて描いてほしいものです。
蟻が明けた小さな穴から、堤防が崩れるように、ほんの小さなことが日本の伝統文化を壊すことがないようにしたものです。(2010.7.21)

 



夏秋徒然草 61  薬師寺花会式   関連記事:奈良奥山に

 

桜満開の薬師寺花会式に参りました。以前雑誌で薬師寺の花会式の記事を見て是非訪れようと思った行事です。

花会式は「修二会薬師悔過法要」が正式名で900年前から旧二月、今の3月に行われる法要ですが、同じ修二会でも東大寺のお水取りに比べれば知名度は今ひとつです。あちらが火の祈りとすれば、こちらは花の祈りです。お水取りの時は雪に降られて震えながら参拝しますが、花会式はさくら満開の花に囲まれた素敵な法要でした。和紙で作った十の造花を薬師如来の周りに飾りますのも、日本の和紙の工芸が生きていてうれしいことです。
330日の初夜の法要は神秘的なものだそうで機会があれば参籠したいものです。そして今日5日の鬼追い式で終わります。

以前薬師寺に来たときはまだ西塔が再建される前で、二十数年ぶりです。西塔の礎石に貯まった水に映る国宝「東塔」を観て感激し、フィノロサがいみじくも「凍える音楽」といったコトバをかみしめたものですが、最近の研究で、本当は言っていないらしいのですが、ロマンがないので言ったことにしておきましょう。

その凍える水煙(塔のてっぺんの銅製の彫刻)も溶けそうな満開の桜、水煙に踊る天女も喜んでいることでしょう。この水煙の拓本を掛軸に仕立てて以前個展で披露しています。

もう一つ国宝の仏足石歌碑の拓本も3年前の個展で展示しました。この拓本は偶然東寺の終い弘法で見つけて、売り手が全く理解していなかったのでただ同然で手にいれ、いまでは私の元にくることが運命だったんだよと拓本に言っています。

ここで一句 「水煙も溶けてしまいそ さくらばな」

お昼のお食事は臨時の食堂(じきどう)でいただきましたが、出しなにテントに写る桜の影でまた感激

「じきどうの 幕に写りし さくらかげ」

今日は稚児行列があります。これからだというのに、草履が痛いのか、座り込んでしまった稚児二人。

「稚児の子よ 義経も 弁慶も もとは稚児」

さて帰りは 

奥山に さくら踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 春は楽しき 

(2010/04/18)

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夏秋徒然草 60  野仏庵

 


2月14日はバレンタインデーではありますが、耶蘇の行事とは縁もゆかりもない洛北は詩仙堂を中心に史迹と美術同攷会例会がありました。最初の会場は詩仙堂向かいの野仏庵、50人以上の参加者でしたが、ほとんどが初めて、かく言う私も初めて訪れました。詩仙堂の向かいといってもちょっと坂を上がるので誰も訪れないのでしょうね。パンフレットもなくホームページも作られないので・・ほんと隠れた穴場です。

野仏庵は南禅寺の湯豆腐で有名な順正の創業者上田堪庵の造った庵です。京都の最後の数寄者ではないかと言われています。昭和40年代に建てられたそうです。

母屋は伏見淀の庄屋を移築したもので、とってもしっかりした建物です。他の建造物も全てがあちこちからの移築です。

まず門は西園寺公望の隠れ住んだ丹波須知の門で茅葺き長屋門、石段を上がるといしずみの上にあぶなげに建っているのが陶庵席、これも公望公の茶席でした。

母屋には雨月席があります。これは雨月物語で有名な上田秋成の煎茶席、今は抹茶の茶道が主流ですが、かって江戸から明治にかけて煎茶道も文人墨客の間では流行ったそうです。ということで多くの茶室や庭園ももう少し煎茶の方から見た方がよいのではないかと尼崎博正京都造形大学教授や矢ヶ崎善太郎京都工芸繊維大学准教授(どちらも史迹と美術同攷会の会長・副会長)は考えておられます。

ここの茶室は窓が大きく、とっても明るいですね。その障子を開けると京都市内が一望に見渡せるのもとっても解放的で、薄暗い密閉された侘びさびの茶室とは異なりますね。
床の間の掛軸の掛ける位置も凝っています。

客間にはここの主人上田堪庵と松永安左エ衛門(電気王といわれた数寄者)合作の襖絵があります。
起伏のある庭園には200体あると言われる石仏が置かれていますが、ほとんどは民間信仰で造られた小石仏ですが、一点巨大な石仏が庵に安置されていました。皆の意見でどうも高句麗の石仏ではないだろうかということでした。

この日は快晴でしたがとっても寒い一日でした。このあと詩仙堂と金福寺にも詣りました。(2010.03.13)  
 
 
 



夏秋徒然草 59  鬼の声・吉備津神社

毎月一回の岡山出張、今回は正月ということで、岡山屈指の神社・吉備津神社と吉備津彦神社に参拝しました。
吉備津彦神社は今注目の卑弥呼の弟・大吉備津彦命が祭神で、朝日の宮といわれ太陽信仰の山・中山そのものが信仰の中心であります。時間の関係で鳥居から参拝しました。
目的は吉備津神社!ここも大吉備津彦命が祀られています。
さて大吉備津彦命は、百済の王子・温羅(うら)が支配していた岡山を平定した将軍で、この話が後に桃太郎伝説になったのです。鬼にされた温羅ですが、本当は製鉄技術を日本に伝えた偉い方だったのに、大和朝廷に滅ぼされ鬼に格下げされた悲劇の主人公です。 その温羅鬼の声を聞くことができました。

境内の奥、長谷寺と似た有名な長い回廊を進むと、御釜殿(重要文化財)にでます。ここに温羅が祀られています。
鬼として退治られた温羅、夜ごと吉備津彦命夢枕に現れて
『吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をしてミコトの釜殿の御饌を炊がめよ。もし世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸有れば裕に鳴り禍有れば荒らかに鳴ろう・・・』
ということで、今の世まで釜を焚いて吉凶を占う神事が続いているのです。
その御釜殿にぞろぞろ神官に伴われて人が入っていきます。そーと潜り込んでしまいました。大きな竈の火口から炎が出ています。上には蒸籠がおかれ湯気がたなびいています。
神官が釜に向かい祝をあげ、釜の後ろに座した巫女が、上に敷いた簀をとりますと突然建物中から「ウオーーン」という音が響きます。最初はスピーカーでもあるのかなと思いましたが釜と建物が共振してるようです。巫女が米粒を入れますと音は「グゥオーーン」となります。これが鬼となった温羅の声なのです。この強弱で吉凶を占うそうですが、巫女と神官は結果を教えないそうです。大きな声がしたとき、一瞬紛れ込んだ私を怒ったんではないかと恐れましたが、そうでもなさそうで安心しました。
釜の上の蒸籠に筵を被せるとピタッと声が止みました。最後に巫女さんから炒った米粒を頂戴し、一口食べ、あとは持ち帰りました。これって無断飲食?神様許してください。
さて巫女さんはこの神社の後背地にある鬼の城と呼ばれている山城跡麓の阿曽の郷の代々出身者が勤めます。神話の時代から続くこの行事、日本は奥深いですね。(御釜殿内部は撮影禁止なので看板から撮りました)

ところで吉備津神社の社殿は国宝です。吉備津造りという比翼入母屋造で他の類例を観ない日本最大の社殿で、中は全て朱塗りの豪快華麗な建築です。

ここの神社は京都ほど景観に配慮がなく、ペラペラの標識や、ありがたくなさそうな絵馬など、また今日はえべすまつりで摂社のえべす宮ではスピーカーから繰り返し「商売繁盛笹もってこい」が流れていて、荘厳さが台無しです。
神社を出る頃には道路が渋滞するほど人が来てました。(2010/02/11)


夏秋徒然草 58  根津美術館

実業家根津嘉一郎が収集した美術品を展示する根津美術館はこのほど新たな美術館としてオープン、更紗などの古裂の収集を観るため幾度か旧館のとき行きましたが、今回は茶道具の展示と言うことで是非にとの思いで行きました。
建物は隈研吾の設計です。彼の初期の設計した建築は奇をてらう物が多かったようですが、この美術館はとっても落ち着いた設計です。ここに来て建物よりも感激したのはお庭でした。起伏のある庭園に四つの茶室を配置し、回遊する庭は紅葉で、東京のど真ん中とは思えないたたまずまい。以前東博の庭園を観て東京では素敵な庭園は造れないのかなんて思っていましたが、ここ根津の庭園を観て考えが改まりました。
庭の小径のあちこちに置かれた石仏や灯籠も素晴らしく、池に浮かんだ茶室船のそばには鴛鴦が浮かんでいます。
紅葉に惹かれて二回も回ったお庭の上にはレストラン
nezucafe、ちょうどお昼時で、話では行列ができていると聞きましたが、すぐに入れました。ここは三方がガラス張りで庭園が見渡せます。というより森の中にいるようです。天井は和紙風に作ってあり、人が少なければ素晴らしい憩いの場所ですね。らんちはミートパイ、ミートパイがこんなにおいしいなんて思いもしませんでした。(ちょっとほめすぎ?)

さて本館、今回は初代根津嘉一郎の所蔵の茶道具、今回これを観られただけでよかったと思われた物が、伝徽宗皇帝筆「紫陽花小禽図」、内容の素晴らしさはいうまでもありませんが、掛軸の表紙がなんと兎の刺繍、こんな裂始めてみました。ただ驚くのみ。図録や絵ハガキがないのが残念です。

なおここの照明は全て発光ダイオード、作品によって色を変えているとか。またガラスが嵌っていないような照明とあいまって、日本では最新の美術館、何度も行きたくなるところです。
外に出るとそこは骨董通り・・・でもいまは骨董屋さんありませんよ。プラダやなんやかや、ブランドの店ばっかりでがっかり。(09.12.31)


夏秋徒然草 57
 絵金 屏風祭り

土佐の高知の赤岡町、つい先だってまでは日本一小さな町に、年一度7月18・19日披露されるオドロオドロしい絵師金蔵、人よんで絵金の屏風絵を求めて、岡山から高速バス「龍馬エクスプレス」で高知に行きました。
四国はフェリーで数回、飛行機でも数回、高松と松山には行ったのですが、瀬戸大橋もはじめて、土佐も初めて、ということは、着くそうそう「はりまや橋」でかんざし買って、桂浜で坂本龍馬像観て、天下国家を考えないとね。

はりまや橋は「え!これが」と失望度(がっかり度)ベスト3に入るところだそうで、期待しなければ失望もしません橋でした。
ついで桂浜、バス停で待っているとタクシーの運ちゃん、「バスいまでたきー 安くするから乗らん」ということで、交通渋滞の道路をしり目に裏道とおって桂浜へ、一日乗せるよといって、シツコかったのを振り切って降り、桂浜へ。
坂本龍馬像 大きかったです。来年は大河ドラマ「龍馬伝」、福山雅治が演じるそうですが、ちょっと線が細いように思います。でも武田鉄也よりいいか。
桂浜から見る太平洋は荒波、海の上にはイージス艦?が浮かんじゅう。これみて龍馬は何思っちゅーろーね。

さて夕方から赤岡へ、途中「ごめん」で乗換、近くの町でやなせたかしがうまれているので、各駅にあんぱんまんに登場するキャラクター人形が出迎えてくれます。
駅降りると閑散としています。町は道越えた先だったです。屏風は7時から飾られるので、腹ごしらえと、広場でやきそば食べてると、近隣からどんどん人が集まってきます。子供達は可愛い浴衣着て飛び回り、金魚すくいやお面屋さんに群がっています。
七時、まだたそがれ時で撮影狙い時です。今年からフラッシュ禁止なので一脚持参、杖にもなるという今のわが身にはうれしいグッズ、程よいにぎわいの中で撮影できました。

それにしても今から160年前の屏風を、おしげもなく表に並べて、蝋燭一つで観られ、触れるなんて、高知の人は「ふとっぱらやき」 、京都の祇園祭を屏風祭りともいって、家々の座敷に屏風を飾って自慢したことも昔日のこと、いまや町屋も消えて、屏風祭りも名のみとなった京人にとっては、名前返上しなあきまへんなあー!

なんかあの世の、江戸時代の祭りに参加した不思議な体験の一晩でした。

「絵金」
絵師金蔵は1812年はりまや橋近くの髪結いの店に生まれ、長じて江戸で狩野派の絵を学び、帰国後は御用絵師となりました。
後輩には河鍋暁斎がいたり、同輩には武市半平太がいたり、金蔵が22歳のころ坂本龍馬が生まれてもいます。
この順風漫歩も、仕掛けられた贋作事件で追放、各地を回ったらしい。最期はここ赤岡に落ち着いて、神社に奉納する芝居絵
をたくさん描き、今に残ったわけです。没年は1876年。動乱の土佐あって、絵でその時代の息吹を体現した絵師金蔵、土佐で
はいまも絵を描いている子供に「絵金」になるき、というそうです。

描かれる場面は「忠臣蔵」や「手習鑑」などで、絵の中にいくつもの場面を溶け込ます作風は独特で、中心の血だらけの画面の端には、マンガっぽい絵が小さく描かれていて、ホッとさせます。
絵金の屏風は、普通使われる岩料でなく泥絵具、特に赤は「絵金の血赤」と呼ばれる独特の絵具を使い、いまも見る人をオドロおどろしい世界に引っ張り込みます。

数十年前、絵金を知ってからいつか見たいと思っていました。伊藤若冲、河鍋暁斎ときたら、次は絵金と思っていたのですが、展覧会には向かないからかブームになりませんでしたね。そうそう来る直前、TVBSで「絵金」再放送してましたね。江波杏子のかたり・・怖かったですね。

今回故あって高知生まれの方に案内していただいて、生きた屏風絵を見られたことは、皆既日食見る以上の幸運でした。それにしてもこの夜のみ雨も降らず、絵金への思いが天に届いたのでしょうね。 (2009.8.20)


夏秋徒然草 56  ニッポン画・山本太郎展



五月、山本太郎展を京都「えき」美術館で観ました。発想は素晴らしいですね。垣根や釣瓶に朝顔の蔦が絡まるのは昔、今は垣根が金網になり、井戸なんて見なくなった現代、朝顔が電柱に絡まったり、ブロック塀の金網に絡まる方がリアルですよね。彼が描く山水の山には駐車場があるのも同じ理屈です。
傑作は現代釈迦涅槃図、延命措置で死ぬに死ねないおしゃか様、困り果ててる来迎阿弥陀、面白いです。まだ35歳これから注目されるアーティスト。

さて「阿米陀如来来迎図」掛軸は描き表具、中廻しの星の模様が本紙に入っていくところや、雲が下の囲いを超えてるところはなかなかのものです。でもこの手のものは徒然草55で書いたように、江戸時代「幽霊図掛軸」等で先人が試み済みです。

問題は屏風です。特に初期の作品は良くないです。まずほとんどの屏風作品に金箔、銀箔が貼ってあるのですが、むらあり、皺あり、汚れありでとっても安っぽく見えます。わざとしているとしたらそれはすごいかも・・・。
ついで屏風で一番注意するコーナーの隅皺がほとんどの屏風にあることと、縁(へり)の隅があっていないことは、表具師の責任ですが、依頼者も気をつけるべきです。
また初期の作品は、お金がなかったのか、普通の木に塗料を塗っているのはやはり安っぽく見えます。大きな美術館で回顧展をされるほど有名になられたのですから、やりなおすべきだったとおもいます。

「ちゃんと絵を見ないで、なにみてんや」とおしかりになるファンもおられることと思います。私も新しいデザインの掛軸や屏風をたくさん作ってきましたが、新たなことをすると技術が追い付かなかったり、うまく適合しないこともあり、未だに悩んでいますのでえらそうなことは言えません。私ごときと比べることもおこがましい有名人ですから、あえて苦言を述べました。 (2009.07.07)


夏秋徒然草 55  枠からはみ出た描表具

藝術は爆発だ!・・・と言った人がいました。私は「枠」からはみ出ることがアートだと思っています。辻惟雄はこれを奇想とよんでいます。その流れが村上隆を生みだし、山口昇、山本太郎と受け継がれてきています。

さて先日名古屋市美術館で「だまし絵展」を観ました。これは「枠」からはみ出したアートでもあります。
文字通り「枠」からはみ出した絵、東西2点、まず1874年スペインの画家ペレ・ボルレ・デル・カソの描いた「非難を逃れて」は画面から少年がまさに飛び出そうとしている絵です。もともと絵画を額縁に入れる展示方法はヨーロッパ独特のものです。額縁を窓とみなして、見る者は描かれた自然や生物を現実の世界から鑑賞するという手法ですが、この絵では虚構の世界から現実に飛び込もうとしている少年を描いて、驚かせているわけですね。
それに対して我が国の作品は、浮世絵・特に遠近法をつかった「浮絵」、鳥居清忠の肉筆画で「忠臣蔵七段目」1749年の作品です。芝居に退屈したのか、男が一人画面から飛び出して、掛軸の作品の上下に貼られている一文字に手をかけてまたごうとしています。
油絵が描かれる100年以上も前に、日本ではすでに枠から飛び出していたのですね。

今回の「だまし絵展」ではメーンは野菜で作った顔の「ルドルフ2世」ですが、私の最大の目的は「幽霊」に逢うことでした。
むかしむかしその昔、京都駅前に丸物百貨店のあった時代(丸物は近鉄になり、いまやヨドバシカメラに変わろうとしています)、高校の時たまたま入って、見た幽霊の掛軸に衝撃をうけ、こんなものを作りたいとの思いが、今日の職業になっているわけです。
それが長沢芦雪か、呉春か河鍋暁斎かはわかりませんが、いずれにしても画面から幽霊が飛び出していて、怖いというより凄いと思ったのです。
あれから幾星霜、名古屋で逢えたのです。
さて紹介する掛軸は河鍋暁斎の「幽霊図」1883年ころの作品です。掛軸全体を描いた「描表具」といわれるものです。
江戸時代、蝋燭や行燈の薄暗い明りの中、床の間にかかったこの絵、怖かったでしょうね。
ところで私は幽霊は描きません、ただその精神、枠からはみ出たものを作りたい・・・で今日まで来ましたが、まだ道半ばです。

掛軸の風帯の起源は、中国で掛軸を飾ると、ツバメや雀が飛んできて触るので脅すためにつけられたヒラヒラという説がありますが、その故事にならったような掛軸です(市川其融「雪中常盤図」(19世紀))これで見ると逆に風帯に戯れているみたいで楽しい描き表具ですね。
なお私は風帯は仏教の幡からきた装飾だと思っています。
もっとも描き表具の良さを出している作品は、柴田是真「滝登鯉図」ですね。こんな大胆な作品をいまだかってみたことありません。

さて「だまし絵」展・・・6月は東京Bunkamura、8月は兵庫県立美術館で開催されます。だまされてください。(09.6.2)


夏秋徒然草 54 利休そして待庵=瀬地山澪子


今年の直木賞をとった山本兼一「利休にたずねよ」を読みました。利休の切腹から青年時代にと戻っていく小説構成も面白いですが、利休を「わびさび」でとらえないで、「艶」としてとらえたところがユニークで一気に読ませました。

巻末の参考図書の中に、瀬地山澪子さんの「利休茶室の謎」を見て納得がいきました。「利休にたずねよ」で利休の茶のすべてが青年時代に逢った朝鮮の美女を起点にするという大胆な仮説は、元はといえば「利休茶室の謎」の利休が作ったたった一つの茶室遺構国宝「待庵」が朝鮮の建築、文化の影響を受けたという説を受け継いだのではないかとみたからです。作者のこの書に対する話を聞いていないのでわかりませんが・・・憶測です。しかし「利休にたずねよ」の本のむくげの花をデザインした表紙が、「利休の茶室の謎」の表紙に似ているのもなにか影響を受けたことは間違いないでしょう。

さて「利休の茶室の謎」はNHKデレクターであった瀬地山澪子さんの遺作で、末期がんのなか、苦痛にさいなまれながら執筆した本書は、利休と茶室に新たな視点を与えた書です。もともとはNHKの「歴史誕生」という番組のために調べ始めた著者がなぞ解きをして成果をあげ、19891124日に放映した過程と結果を一冊の本にしています。
利休たった一つの国宝茶室「待庵」、二畳という狭い空間と、室床という不思議な床の間、すべてが日本の他の茶室とは異にする建築はどこから来たのか・・・男の世界であったテレビ業界での女の苦闘、学者でない人間の通説への挑戦、うまくいくと横取りしようとする連中・・・末期がんの痛みと戦いながらの執筆には頭が下がる思いです。

ところで1980年のある日、瀬智山さんは私の家に来られました。
NHKの「婦人百科」という番組で表具を取り上げるので出演してくれませんか」
彼女は当時、千家のお茶の番組を持っていて、婦人百科の方から適当な人を探せということでこられました。当時京表具の技術は門外不出で、素人に教えるなんて・・・が一般的だったので、表具組合にも入っていない一匹狼の私のところに来られたのでしょうね。
ほとんど独学で中年から始めた表具の世界、業界では異端であった私を世間一般に少しは認知されたのは瀬智山さんのお陰です。本当にありがたいことでした。

我が国の伝統の世界を取材し番組制作されながら、根本には伝統のなかに、新しいものを見出そうとされる姿が、後年「利休」に新たな光を与え、いままた直木賞「利休にたずねよ」にも受け継がれていることを感じざるをえません。今回瀬智山さんのご主人から頂戴したご本を再読しながら、瀬智山さを偲び、もっと遠く、利休を偲びました。(09.04.18)


夏秋徒然草 53 書の力・文字のチカラ

出光美術館で「文字の力・書のチカラ展」を観ました。
最初に目に飛び込んだのは、平櫛田中の「不老」と、白陰の「親」、一休の「心法」、心を奪われ、これ見るだけで来た甲斐があったと思いました。

なお平櫛田中の「不老」には「六十 七十は はなたれこぞう おとこざかりは百から百から わしもこれからこれから」高齢化社会これで行きましょう!
そして「開通ほうや道刻石」以前、二子多摩川で見たのですがそれ以来の対面。やはり最高の拓本です。
(これについては「拓本」HPをご覧ください)

 これ以外にも、虎関師錬の「南明山」や夢想疎石の「来泉」も、文字の持つ意味と、書の形としての造形美が調和して心に届きます。この時代の宗教家はすごかったんだと思わずにいられません。

 なお大字以外に、古筆手鑑などもありましたが、かなに関しては、去年陽明文庫で顔をひっつけるようにして見られた感動には及びませんでした。やはり仮名や細字はガラス越しでは印象が弱いということです。

さて富岡鉄斎がかいた扇面は、これぞ書画一体といえる素晴らしいものです。いまでいうコラボレーションですね。特に字で表した鬼のデザイン力。漢字の持つ造形性、表意性を完璧に描き出しています。

おたやんの横の文字は「富久者有智」(ふくはうち)、鬼の横には「遠仁者疎通」(おにはそと)そして「反覆読之」。万葉仮名風に書かれていて、漢文として読むと道を究める心が読み取れます。小さな扇子に精神世界を書きこんだ鉄斎、最後の文人と言われる所以でしょうか。
出光美術館には随分前に行ったのですが、とってもきれいになっていました。

このあと、招待状をいただいていた六本木の新美術館へ、「加山又造展」を観ました。招待状をいただいてなんなのですが、出光で見た「書」の素晴らしさが尾を引いていて、どことなく平板で、作りものぽくって生命が感じられませんでした。琳派風ではありますが、超えられていません。
加山又造さんは京都から出て、東京芸大そして創画会と進まれましたが、まったく同じようなコースを歩まれた方に西村昭二郎先生(故筑波大教授)がおられました。
一生花鳥風月を描かれましたが、私の理解者でもあって、作品を買っていただいたり、いろいろお話を聞いたり、骨董屋さんに連れて行ってもらったりしました。花鳥風月のみを描くという一本筋を通されたのは立派ですが、加山さんほど有名になられなかったことは残念ではあります。(2009.2.21)


夏秋徒然草 52
 陽明文庫予楽院表具について

 摂政関白第二十一代 近衛家凞(イエヒロ・1667~1736)は江戸時代初中期の方ですが、表具の世界では利休に比肩するほどの独特の世界を作り上げた方です。家広は予楽院ともいわれ、素晴らしいデザインの表具を後世に残すと共に、多くの中国の裂を蒐集しました。ここ京都宇多野の近衛文麿(29代)の作った陽明文庫に収蔵されたおかげで、好事家に渡ったり、散逸せずに残りました。
 山科道安の随筆「塊記」に、家凞が述べた言葉があります。
「総じて表具の取り合いと云ことは、第一に一軸の筆者を吟味して、此人はどれほどの服を着るべき人ぞと工夫して、其人に相応の切をつかふこと、これ第一のこと也。」とあります。
表具の作法は二十七通りあり、家凞と慈嵐法親王がひな形を作ったと言われていますが、残念ながら残っていません。
 藤原定家の「泊瀬山」掛軸は、享保九年(1724)の茶会でかけられましたが、茶記に「一文字紫地印金、中白地金襴、上下ぬひ紗」と書かれています。現存の仕立てと変わりませんので、素晴らしい保存状態で伝来していることになります。
 本来掛軸は五〇年を一区切りに仕立て直しが行われてきました。これは表装がいたむと作品まで悪くなるので、仕立て直すわけですが、表具師のデザイン力や技術でかえって悪くなる場合もあります。
 この掛軸は古来のまま残っているか、仕立て直したとしても、元のデザインを変えない修復をしたと思われます。
 またそのデザインが素晴らしく、風帯を柵のように見立てて、鳥を配した形は現代デザインとしても通用する斬新さです。
 家凞は国宝「大手鑑」も編纂しています。通常の倍のサイズなので、切断されずに貴重な資料が残ったことも、素晴らしいものをいかに収集し保存し、未来に残そうとしたかうかがえます。(2009.1.1)








夏秋徒然草 51
花兎(角倉金らん)

9月 東京国立博物館の東洋館で、名物裂「花兎」と対面しました。今までは模倣した裂ばかり見てきたので、本物にあっていたく感激しました。
博物館では
4回に分けて名物裂を展示、今回は禽獣(動物)模様の展示です。
「花兎」は、名物裂(室町時代中国などから輸入された裂地で、特に茶道の隆盛とともに、表具や仕覆に使われ、掛軸の中の書画より高価なものまで現れました)の一つで中国製、豪商角倉了以が好んだところから別名「角倉金らん」といわれてるところからすると、すでに戦国時代
1500年ころには日本に舶載(輸入)されていたのでしょう。
土の上に花が咲き、ウサギが振り向いているデザインはとってもかわいく、今日まで多くの複製や少し違ったデザインのものまでつくられています。かく言う私も幾度も作品を取り巻く一文字金襴や中廻し緞子として掛け軸に使いました。今回の写真も複製なので可愛さがいまいちですが、東博に展示されている本物の「花兎」に近いものです。
「二人静」という裂もありました。これは向かい合った鳳凰をデザインした裂ですが、足利義政が能「二人静」を舞ったときに着ていた能衣装だったことから、ロマンテックな別名がつきました。花兎を角倉金らんというのと同じですね。このように別名がつくのもそれだけ思い入れが高い裂だったのでしょう。
この名物裂の複製に心血を注いだ竜村織物の初代の物語「錦」宮尾登美子の小説も話題になっています。
参照 日々好日5 東京博物館 平治物語 (2008.11.15)



夏秋徒然草 50 NAK ジャパノロジー掛軸 

ジャパノロジーとは「日本学」これまで伝えられてきたも紋切り型の「日本人」や「日本文化」の枠を壊し、日本の魅力を新しい切り口で世界に発信する、英語と日本語の二カ国語番組です。
今回のテーマは「掛け軸」。番組の中で夏秋工房での裏打とギャラリーで今までの作品が7月25日NHK国際放送として世界に紹介されました。
そして国内では8月18日(関西のみ8月23日)深夜放映されました。

内容は最初に大徳寺塔頭での床の間と掛軸の関係、ついで茶室での掛軸、骨董屋さんのインタビューの後、京都西本願寺門前の江戸時代から続く老舗の表具店「宇佐美松鶴堂」が紹介され、伝統的な掛軸について詳しく解説。
そして最後に、日本の生活様式の変化から生まれた新しい掛軸の製作者として藪田夏秋が紹介されました。
夏秋工房での裏打ちの模様と、拓本を使った創作掛軸が紹介され、これからのありかたを示唆して番組が終わりました。
多くの視聴者から素晴らしかったという感想をいただきました。海外での評価はわかりませんが、日本の文化が国際的に伝われば、出演した私夏秋にとっても望外の喜びであります。(2008.9.7)
紹介された作品は Gallery ⅶ をご覧ください。



夏秋徒然草 49 世界で最も薄い和紙

紙には厚みがあります。ボール紙のような1ミリ以上のものから、1ミリより薄い楮紙など。
その中でも最も薄い和紙は典具帖紙、もとは美濃の産であったが、いまは高知の浜田幸雄(重要無形文化財保持者(人間国宝))さんなどわずかな方が漉かれる土佐典具帖紙を残すのみです。これは世界一薄く、0.03㎜だそうです。

さて以前メトロポリタン美術館で修復をしていた知人から「ベルリンティッシュ」という和紙が送られてきました。
まあ何と薄いこと、上からベルリンティッシュ、典具帖紙、レーヨン紙と重ねるとその薄さがわかります。
次の写真はベルリンティッシュと典具帖紙です。
厚みは計測してないのでわかりませんが、重さは2g、典具帖紙が7gだそうですからその薄さは際立っています。
一度廃れかかった典具帖紙が生き返ったのはちぎり絵に使われたからですが、ベルリンティッシュでは薄すぎて使えないでしょうね。
修復用としては素晴らしいと思いますが、今のところは眺めています。
半紙くらいの大きさで3000円近くしますので、紙の値段としても最高級ではないでしょうか。

さてこのベルリンティッシュはドイツ人ガンゴルフ・ウルブリクトさんが漉きました。
彼は日本の駿河柚野紙で修業し、現在はドイツで紙すきをしています。この紙は最高級の那須楮と駿河三椏でできています。
販売はアメリカに住む日本女性。グローバルですね。


この紙に興味のある方は連絡ください。(2008.6.9)


夏秋徒然草 48  暁斎 Kyosai


 今年、すなわち 、平成二十年(2008)春、京都国立博物館で大規模な河鍋暁斎展が開催され、伊藤若冲、狩野永徳についで、暁斎Kyosaiが日本近代のアートの先駆者と認められたことは喜ばしいことです。
 その中で特に表具に関係する作品についてのお話です。
 掛軸は通常書画があって、周りを裂で囲んで仕上げます。ところが江戸時代、金のない、故に掛軸を買えない庶民は、一枚の紙に絵もその周りの部分も描いた掛け軸を掛けていたそうです。それが大津絵に残っています。

 それとは別に、今度はこりに凝って、絵とその周りにも絵を描いた描き表具が作られていました。それは立派な絵描きが描くわけですから掛軸全体がアートといってもいいものです。今回は二点でていました。
本来は写真の状態の表具なのですが、劣化をおそれて、もう一回り外に裂を回して掛軸に仕立てています。
ちょっと残念なのですがしょうがないんでしょうか。
ひとつは「ひな祭り図」、一文字の外から、天女が画面に入ろうとしています。
もう一つは「幽霊図」、画面から幽霊が出ようとしています。

さて今回も図録で一点気に入らなかったのは、「貧乏神」、図録では本紙しか載っていませんが、表具は、金らん緞子の端切れを切り継ぎして一本の軸にしています。ボロの表具で貧乏神を表具ともども表しています。これも表具全体が作品ではないでしょうか。全体を載せてほしかったと思います。 (2008.5.1)

夏秋徒然草 47  表装の美



美術品を飾る縁の下の存在である表装を、表にだした展覧会が3月岡山県立美術館の開館20周年記念特別企画として開催されました。

これは京表具師山内啓左氏が修復した多くの掛軸を展示したものです。
室町時代の牧谿(もっけい)をはじめ、多くの文化財を含めた修復された作品です。

我々が修復するとき元の表装も残しますが、それを「古巣」と呼んでいます。本展ではこの古巣と修復した作品を並べて展示することも行われ、また表装に使われる道具や裂、和紙なども展示した、表装に興味のある人ない人にも興味を引く構成になっています。

よく美術館や博物館の目録は、作品のみを掲載し、周りの表装の部分は割愛するのが普通ですが、今回の展覧会の目録はきちっと掲載していますので、展覧会に来られなかった人にも役立つものになっています。

さて4月12日からは岡山の山陽新聞社のカルチャープラザで表装教室を始めます。(2008.3.16)








夏秋徒然草 46
  修復師

国宝や重文といった文化財は、博物館などで国の援助で何代も続いた表具師や修復家が、国からの潤沢な予算で修復されています。
ところがそういった有名な、または貴重だと認定された美術品以外の、古い民家やお寺にある掛軸や屏風は、細々と民間の表具師や修復家が、利益を度外視してやっているのが現状です。
写真の掛軸も、鎌倉の古いお寺のもので、ボロボロです。現在、当方で修復しています。

先日新幹線でJRの雑誌「WEDGE」を手にとりました。そこに「にっぽんの100人の青年」という林えり子執筆の連載記事がありました。
「絵画修復という職人道」 桐生諭さんという若い油絵専門の修復家の話です。かれも建築会社から転身し、給料が減っても好きな道を・・・ということで、今の修復研究所に就職したそうです。洋画の場合はそれほど仕事があるわけではないので、収入も少ないそうです。
でもうれしいことに!「飯が食えるかどうか、かつかつの生活で、永遠に裏方」といわれても入所希望者があとを絶たないとか。
「修復家は絵を描くことが好きなことも大事だが、貧の覚悟に似たストイックな気概と辛抱強さ、それに修復する作品と作者への愛情が求められる」と記事は結ばれています。また
「昔の表具師の誇りは自分の仕事に名を残さないこと、修理は修理の後を見せないことが名人、名を残しようがない。自分を出したがる職人の仕事は嫌われた」とも・・・。(2008.2.10)

夏秋徒然草 45  自在絵 山口晃の冒険

山口晃には脱帽、私も掛軸に新風を吹き込もうといろいろやってきましたが、これには及び付きませんでした。
「自在絵」(2000年各約20×400㎝)   画集「山口晃作品集」のコメント

「もっと大きな絵を描かなくっちゃ」と画廊主に言はれて作りました。必要な壁面積はルーベンス級にもできます。もちろんフェルメール級にも。
(「フランダースの犬」で有名なルーベンスの作品はとっても大きいです。それに対して「真珠の耳飾の少女」でおなじみのフェルメールの作品はとっても小さいです)

掛軸と巻物を途中で交差させて継いだんですね。おまけにちゃんと巻き戻せるようになっています。これを頼まれた表具師、さぞやびっくりしたでしょうね。私だったら感激したに違いありません。

掛軸と巻物の伸縮自在性を適格に把握したものです。

さて山口晃を知ったのは、NHKの特番「狩野永徳」のなかでです。
今年は若冲にはじまり、永徳で終わった美術界、京都国立博物館の「洛中洛外図」の前は黒山の人だかりでした。私もじっくり見ていろいろ発見できました。

この番組の最初は「洛中洛外図」、特殊映像で洛外図の中に入り込んで案内するというとっても画期的なものでしたが、案内人は番組進行のアナウンサーなんておもっていたら、後でスケッチブックにさらさらと描くラフをみて、これはすごいと思い、改めて見直すと山口晃という画家だったのです。

それからしばらくして、東京は有楽町、生まれ変わったという広場を歩いて三省堂へ。いつものように美術書売り場、そこにサイン本というシールのついた本があります。よく見ると「山口晃作品集」、手にとって見て、初めてあのNHKの番組に出た画家だとわかりました。
見返しには著者のサインもあり、おまけに付録としてルーペ栞つき、うれしかったですね。ということでいまだにときどき取り出しては眺めています。

数年前、神田の古本まつりで、たまたま手に取った本が、大好きな「時代屋の女房」初版本以来の衝撃! こういうのを「本が待ってくれていた」のですね。(2007.12.16)



夏秋徒然草 44  和のいろは

読売新聞のくらし家庭欄特集「和のいろは・折り本」で薮田夏秋が取り上げられました。
記事が読みにくいので、下記に転載させていただきます。
もとは 

ぬくもり重ねた宝物
灯火親しむ季節。いにしえの世、人は「折り本」を手にした。紙は折り畳まれており、とじめがない。その装丁は、経典や、先人の墨跡を記す法帖(ほうじょう)に伝わる。当時、実用的とされた体裁が、最近では、自分だけの宝物をつくるのに最適と人気を呼んでいるという。
書物の最も古い形式は「巻子本(かんすぼん)」。いわゆる巻物のことだ。その後、折り本が登場し、のりや糸でとじた「冊子本」につながっていく。

 書物を手書きで写した写本の研究で知られる元文化庁主任文化財調査官で龍谷大客員教授、藤本孝一さん(62)に話を聞いてみた。国宝、重要文化財指定の平安時代の巻物を調べると、一定の長さで折った跡が残っている例が多いという。巻物を、折り本のように扱っていたことを示す。
 保存するのなら、巻く方が傷みは少ないはずだ。藤本さんは「繰り返し読み、勉強するには、折り本の方が使い勝手がいい。便利さが親しまれた」と、折り本が普及していく理由を解説した。
 千年の都、京都には、こうした和装本の製作や研究を行うグループがある。日本表装研究会(京都市上京区)の会長、藪田夏秋(やぶたかしゅう)さん(68)が、一般向けに折り本作りを教え始めてから15年になる。「身の周りの品で作れるし、手に取るとぬくもりが感じられるところが好評」という。
 作品を見せてもらった。あでやかな千代紙や古裂(こぎれ)を用いた表紙は、工芸品の趣がある。祖母の形見の着物を使って何冊も作った人もいたという。
 披露宴、パーティーの出席者に記帳してもらう芳名録に使える。記念スタンプを押す集印帳や、カレンダーにもいい。最も多いのは、スクラップブックやアルバムとしての利用だそうだ。はがきや写真を張り付けていけば、「マイ折り本」ができあがる。
 作るなら、上質で厚めの和紙を使う。月替わりカレンダー(A5判大)なら、A4判の紙を13枚準備する。きれいに角を合わせて二つ折りにし、山折り部分が右側、左側と交互にくるよう、それぞれをきちんと重ねる。折り目に沿って外側を幅1センチほどのり付けし、張り合わせていく。表紙になる一番上と一番下のページは1枚、間にあるそれ以外のページは2枚の紙を張り合わせた状態で、全体がびょうぶの形になる。
 表紙には厚紙を張るだけでなく、千代紙や布で覆う。布を用いる場合、市販の裏打ちシートを使えば、しわがよらずに、きれいな仕上がりになるという。
 藪田さんの著書「あなただけの巻物・折り本づくり」(日貿出版社)を参考に、12ページ分を作ってみた。多少でこぼこはあるが、なかなかの出来栄え。見せに行くと、「初めてにしては、上手ですわ」。その言葉に乗せられ、和菓子の包み紙を表紙に使い、居間に飾った。和の風情を少し演出できたような気がした。
記者ノート予想以上に軽くスムーズ
 新人だった奈良支局時代、実はお寺の取材で折り本を見ていた。年に1度の大きな法要で、僧侶が数百巻もの経典の折り本を、1巻ずつ、題名を読み上げ、頭の上でかざすように広げては閉じていった。要所を読み、全部を読むのに代える「転読」といい、力強く、美しい所作が印象に残った。
 折り本を手にしたのは、今回が初めて。その軽さに驚いた。「機械でプレスしていない和紙を使っていますから」と藪田さん。柔らかで、手にしっくりなじむ。僧侶の流れるような動きの謎が、十数年たって解けた思いだった。
 自分で作った折り本を手に、転読のまねをしてみる。予想していた以上にスムーズに開く。これから、はがきや写真を張って、少しずつ重みが増していくのも楽しみだ。(前田利親)(20071015  読売新聞)


各地の夏秋表装教室では「和の工芸」シリーズというタイトルで9月から、和綴本や折り本、帙やミニ屏風を指導していますので、トッテモ有難い記事になりました。(2007.10.21)

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秋徒然草 43  Biombo/屏風展

六本木ミッドタウンのサントリー美術館の開館記念展「BIOMBO/屏風」に行きました。何分出張の途中なので閉館きりきりの観賞でした。

さてサントリー美術館と屏風の関係は、この美術館のコンセプトが生活に密着した美術の蒐集にあり、そのあらわれとして掛軸よりも屏風の方をたくさん集めたということからきていて、今回の展覧会がオープニング記念展との位置付けだそうです。

屏風はほとんどの美術館・博物館が美術品としてかざり、壁に平面的に押し付けた状態で展示されていましたが、最近はプライスコレクションの若冲展のように立体的に立てかけ、光によってイメージが変わるという、制作、使用当時の鑑賞方式を取り入れた展覧会も出てきました。


もともとは風を防ぐ建具として発達した屏風は、すごく多様な使い方がされてきました。今回の
BIOMBO展はその多様性に光を当てて展示されています。なかでも私が最も注目したのは、出産場面に使われた「白絵屏風」、世界に二つしかない貴重なもので、文献でしか知らなかったものを、その実物を今回見られて大満足でした。
また明治時代の宮中の式次第の資料にある屏風の使い方からも、いかに屏風が多様な使われ方がされたかがわかります。

掛軸も屏風もどんどん使われなくなっている現代、このBIOMBO展がより多くの人に理解され、その素晴らしさを見直してくれればと切望しました。

なおその折目をつなぎとめる蝶番、日本で発明された紙ちょうつがいの作り方を、東京と大阪で教えますので良ければお越しください。初めて接した方は「魔法のようだ」と言われる和工芸技術です。(2007.9.12)


夏秋徒然草 42  古軸の修復


先般お預かりした掛軸、400年前の去るお寺にかかっていたものです。今や広げると、廻りの表紙は劣化していてポロポロと剥がれ落ちてきます。本紙の絹本は比較的画面が良く、色落ちや顔料の剥脱はありません。
相当大きいので、洗い専門の方にお願いしました。

職人さんは、巻かれた軸を見るなり開けもしないで、
「これはできない」
「なぜですか?」
「霊がこの軸に纏わりついています」

ということで、お坊様に拝んでいただきました。
再び持っていきましたが、霊が消えていないそうでやはりだめでした。ということでこちらで頑張ってすることになりました。

霊があるかないかは私にはわかりません。その職人さんは修験道を信じている方で、とっても霊感が鋭いということです。

修復現場はこういった科学とは別の問題にも対処しなければなりません。
私には霊は見えませんが、とっても大切に取り扱う気持ちだけはしっかり持ちました。(2007.8.15盂蘭盆会に)




夏秋徒然草 41 銀閣寺 茶室の起源と若冲の床の間 

観光客でごった返す京都銀閣寺、ここに本当の意味の日本文化の起源があります。
日本は有史以来、中国の影響をもろに受けてきた国です。平安時代の文化は大陸の文化と連動しています。
ところが貴族文化が終焉し、武士中心の中世が始まりますと、伝統にとらわれない文化が胎動してきます。
その中から完成したのが室町幕府八代将軍・足利義政の作り上げた文化です。禅の影響を受け、また応仁の乱の終わった空しい空気から、わびさびの世界が生まれたのではないでしょうか。
それを具現したものが、銀閣であり、住まいとした東求堂だったのです。
祖父三代将軍義満の金閣との対象が見事です。

春の特別公開でこの国宝の東求堂を、そして最古の書院同仁斎を拝見しました。
義政はこの窓の前の付け書院に座って書物を読んだり、手紙をしたためたりしたのでしょうね。
この場所には床の間はありません。床の間の生まれる前の姿です。窓を開ければそこには盛りのツツジと庭の石組、遠方には東山、掛軸に勝る景色が現れます。五月の時しか見られない贅沢を堪能しました。違い棚には骨董名物の花器や茶器、香炉が置かれていたのでしょうね。
下に敷かれた畳、それまでは絵巻に見られるような板敷に人が座るところだけ敷かれていた畳を部屋全体に敷き詰めました。四畳半です。
ということで日本の和建築のもとはここなのです。帰り際に違い棚にそっと触れて600年前を感じました。
さて5月13日相国寺では若冲展が開かれました。「釈迦三尊仏三幅と動植綵絵30幅」が一堂に並んだのは壮観でした。ここでは伊藤若冲が描いた金閣寺(鹿苑寺)書院の「葡萄小禽図床貼付床の間」と違い棚を取り上げました。室町期後半になると掛軸を飾る床の間が付け書院に代わって生まれます。この床の間は若冲の絵を張り込んだユニークな床の間と違い棚です。床の間は掛軸を掛けるため中心には絵を描いていません。大好きな床の間です。
それにしても銀閣寺では棚に触れたのに、ここ金閣寺から移したこの相国寺では強化ガラスの中に納まってしまっています。金閣も銀閣もおなじ寺の塔頭なんですがね。(2007.5.20)


夏秋徒然草 40 「葵上」

第9回ひょうほゑ展に出品した作品です。本紙は父の所蔵の古い謡本をもとに作りました。
「葵上」は、源氏物語の葵の巻を世阿弥が能に仕立てたものです。シテは六条御息所の生霊で、題名の葵の上は出てきませんが、舞台に、霊に祟られ寝込んでいる姿を、一枚の小袖を置くこと(出し小袖)で表す素晴らしい舞台表現です。
六条御息所は賀茂の祭りの際、葵上から受けた侮辱に耐え切れず、生霊として葵上を苦しめます。薬石効なく、ついに修験者が呼ばれ祈祷が始まると、生霊は怒り、鬼の姿で現われますが、最後は法力によって浄化される場面で終わります。
本紙はシテが静々と現れる場面を動的にとらえました。バックには謡本の冒頭の言葉を入れました。作品を見ることで、能の音が頭の中に響けば成功です。
風帯は右は垂れ風帯、左は貼り風帯にしました。中にはこの物語のクライマックスの場面の言葉を入れています。「おもいしれ うれめしや・・・」
地の部分には般若の後シテがいます。
一文字や筋、風帯の縁は江戸期の古裂です。染むらを利用して、怨霊の凄まじさを表しました。(2007/4/15)

夏秋徒然草 39 「表具」と「壁画」

夏秋徒然草34で紹介した木村英輝さんがまたとてつもないことをやってのけました。
1月17日京都の中心、四条通にあるデパート藤井大丸の屋上から、金で縁取りした真っ赤な群象を描いた巨大な幕を掛けました。16m四方の作品です。
京都に2008年サミットを呼ぼうとボランティアでの仕業。

奥さんの苦労話:廃校になった小学校の講堂全面を使ってビニールシートに碁盤の目を下書きしたときは足がつってしまったそうです。お金にならないことばかりしている壁画家、奥さんの苦労は絶えません。(2007/3/6)
徒然草38でちょっといちゃもんつけた「美の壷」の番組が本になりました。さすが本となるときちっとしたすばらしいものができました。(2007/3/6)

「表具」 NHK「美の壷」制作班編 NHK出版 

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夏秋徒然草 38 美の壺

NHKの「美の壺」という番組は「日曜美術館」の初心者版といったコンセプトで創られた番組です。4月からスタートしてすでに33回になりました。
谷啓の洒脱な司会も良く、おまけに「美の壺」という題字は紫舟さん。ふとしたことで知り合って、個展にも来ていただいた新進気鋭の女流書家なのです。
さて6月は「掛軸入門 表具」楽しく拝見しました。が気になるところが2点ありましたので記しておきます。

番組の中で床の間に掛けられた掛軸が異常です。まず写真でご覧のように、風帯がカールしていますね。これは掛軸を収納したとき、風帯を折って巻かないで、そのまま巻いたときおこる現象です。誰かが気がついて直すべきだったでしょうね。もう一つは修復の場面で、シュミレーションの掛軸の風帯の位置がおかしいのです。真ん中が開きすぎて不格好です。この写真はうまく撮れませんでした。番組全体は良くできているのにちょっとしたことで誤った情報が流れるとそれが正しいと思われ、後世に伝わることが恐ろしいと思います。細かいことですが日本の伝統を正しく伝える為にあえて記しておきます。(2007.1.1)


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