夏秋徒然草 48 暁斎 Kyosai
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![]() 今年、すなわち 、平成二十年(2008)春、京都国立博物館で大規模な河鍋暁斎展が開催され、伊藤若冲、狩野永徳についで、暁斎Kyosaiが日本近代のアートの先駆者と認められたことは喜ばしいことです。 その中で特に表具に関係する作品についてのお話です。 掛軸は通常書画があって、周りを裂で囲んで仕上げます。ところが江戸時代、金のない、故に掛軸を買えない庶民は、一枚の紙に絵もその周りの部分も描いた掛け軸を掛けていたそうです。それが大津絵に残っています。 |
それとは別に、今度はこりに凝って、絵とその周りにも絵を描いた描き表具が作られていました。それは立派な絵描きが描くわけですから掛軸全体がアートといってもいいものです。今回は二点でていました。 本来は写真の状態の表具なのですが、劣化をおそれて、もう一回り外に裂を回して掛軸に仕立てています。 ちょっと残念なのですがしょうがないんでしょうか。 ひとつは「ひな祭り図」、一文字の外から、天女が画面に入ろうとしています。 もう一つは「幽霊図」、画面から幽霊が出ようとしています。 さて今回も図録で一点気に入らなかったのは、「貧乏神」、図録では本紙しか載っていませんが、表具は、金らん緞子の端切れを切り継ぎして一本の軸にしています。ボロの表具で貧乏神を表具ともども表しています。これも表具全体が作品ではないでしょうか。全体を載せてほしかったと思います。 (2008.5.1) |
夏秋徒然草 47 表装の美

美術品を飾る縁の下の存在である表装を、表にだした展覧会が3月岡山県立美術館の開館20周年記念特別企画として開催されました。
これは京表具師山内啓左氏が修復した多くの掛軸を展示したものです。
室町時代の牧谿(もっけい)をはじめ、多くの文化財を含めた修復された作品です。
我々が修復するとき元の表装も残しますが、それを「古巣」と呼んでいます。本展ではこの古巣と修復した作品を並べて展示することも行われ、また表装に使われる道具や裂、和紙なども展示した、表装に興味のある人ない人にも興味を引く構成になっています。
よく美術館や博物館の目録は、作品のみを掲載し、周りの表装の部分は割愛するのが普通ですが、今回の展覧会の目録はきちっと掲載していますので、展覧会に来られなかった人にも役立つものになっています。
さて4月12日からは岡山の山陽新聞社のカルチャープラザで表装教室を始めます。(2008.3.16)
夏秋徒然草 46 修復師
国宝や重文といった文化財は、博物館などで国の援助で何代も続いた表具師や修復家が、国からの潤沢な予算で修復されています。
ところがそういった有名な、または貴重だと認定された美術品以外の、古い民家やお寺にある掛軸や屏風は、細々と民間の表具師や修復家が、利益を度外視してやっているのが現状です。
写真の掛軸も、鎌倉の古いお寺のもので、ボロボロです。現在、当方で修復しています。
先日新幹線でJRの雑誌「WEDGE」を手にとりました。そこに「にっぽんの100人の青年」という林えり子執筆の連載記事がありました。
「絵画修復という職人道」 桐生諭さんという若い油絵専門の修復家の話です。かれも建築会社から転身し、給料が減っても好きな道を・・・ということで、今の修復研究所に就職したそうです。洋画の場合はそれほど仕事があるわけではないので、収入も少ないそうです。
でもうれしいことに!「飯が食えるかどうか、かつかつの生活で、永遠に裏方」といわれても入所希望者があとを絶たないとか。
「修復家は絵を描くことが好きなことも大事だが、貧の覚悟に似たストイックな気概と辛抱強さ、それに修復する作品と作者への愛情が求められる」と記事は結ばれています。また
「昔の表具師の誇りは自分の仕事に名を残さないこと、修理は修理の後を見せないことが名人、名を残しようがない。自分を出したがる職人の仕事は嫌われた」とも・・・。(2008.2.10)
夏秋徒然草 45 自在絵 山口晃の冒険
山口晃には脱帽、私も掛軸に新風を吹き込もうといろいろやってきましたが、これには及び付きませんでした。
「自在絵」(2000年各約20×400p) 画集「山口晃作品集」のコメント
「もっと大きな絵を描かなくっちゃ」と画廊主に言はれて作りました。必要な壁面積はルーベンス級にもできます。もちろんフェルメール級にも。
(「フランダースの犬」で有名なルーベンスの作品はとっても大きいです。それに対して「真珠の耳飾の少女」でおなじみのフェルメールの作品はとっても小さいです)
掛軸と巻物を途中で交差させて継いだんですね。おまけにちゃんと巻き戻せるようになっています。これを頼まれた表具師、さぞやびっくりしたでしょうね。私だったら感激したに違いありません。
掛軸と巻物の伸縮自在性を適格に把握したものです。
さて山口晃を知ったのは、NHKの特番「狩野永徳」のなかでです。
今年は若冲にはじまり、永徳で終わった美術界、京都国立博物館の「洛中洛外図」の前は黒山の人だかりでした。私もじっくり見ていろいろ発見できました。
この番組の最初は「洛中洛外図」、特殊映像で洛外図の中に入り込んで案内するというとっても画期的なものでしたが、案内人は番組進行のアナウンサーなんておもっていたら、後でスケッチブックにさらさらと描くラフをみて、これはすごいと思い、改めて見直すと山口晃という画家だったのです。
それからしばらくして、東京は有楽町、生まれ変わったという広場を歩いて三省堂へ。いつものように美術書売り場、そこにサイン本というシールのついた本があります。よく見ると「山口晃作品集」、手にとって見て、初めてあのNHKの番組に出た画家だとわかりました。
見返しには著者のサインもあり、おまけに付録としてルーペ栞つき、うれしかったですね。ということでいまだにときどき取り出しては眺めています。
数年前、神田の古本まつりで、たまたま手に取った本が、大好きな「時代屋の女房」初版本以来の衝撃! こういうのを「本が待ってくれていた」のですね。(2007.12.16)
夏秋徒然草 44 和のいろは
読売新聞のくらし家庭欄特集「和のいろは・折り本」で薮田夏秋が取り上げられました。
記事が読みにくいので、下記に転載させていただきます。
もとは http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20071015bk1d.htm
ぬくもり重ねた宝物
灯火親しむ季節。いにしえの世、人は「折り本」を手にした。紙は折り畳まれており、とじめがない。その装丁は、経典や、先人の墨跡を記す法帖(ほうじょう)に伝わる。当時、実用的とされた体裁が、最近では、自分だけの宝物をつくるのに最適と人気を呼んでいるという。
書物の最も古い形式は「巻子本(かんすぼん)」。いわゆる巻物のことだ。その後、折り本が登場し、のりや糸でとじた「冊子本」につながっていく。
書物を手書きで写した写本の研究で知られる元文化庁主任文化財調査官で龍谷大客員教授、藤本孝一さん(62)に話を聞いてみた。国宝、重要文化財指定の平安時代の巻物を調べると、一定の長さで折った跡が残っている例が多いという。巻物を、折り本のように扱っていたことを示す。
保存するのなら、巻く方が傷みは少ないはずだ。藤本さんは「繰り返し読み、勉強するには、折り本の方が使い勝手がいい。便利さが親しまれた」と、折り本が普及していく理由を解説した。
千年の都、京都には、こうした和装本の製作や研究を行うグループがある。日本表装研究会(京都市上京区)の会長、藪田夏秋(やぶたかしゅう)さん(68)が、一般向けに折り本作りを教え始めてから15年になる。「身の周りの品で作れるし、手に取るとぬくもりが感じられるところが好評」という。
作品を見せてもらった。あでやかな千代紙や古裂(こぎれ)を用いた表紙は、工芸品の趣がある。祖母の形見の着物を使って何冊も作った人もいたという。
披露宴、パーティーの出席者に記帳してもらう芳名録に使える。記念スタンプを押す集印帳や、カレンダーにもいい。最も多いのは、スクラップブックやアルバムとしての利用だそうだ。はがきや写真を張り付けていけば、「マイ折り本」ができあがる。
作るなら、上質で厚めの和紙を使う。月替わりカレンダー(A5判大)なら、A4判の紙を13枚準備する。きれいに角を合わせて二つ折りにし、山折り部分が右側、左側と交互にくるよう、それぞれをきちんと重ねる。折り目に沿って外側を幅1センチほどのり付けし、張り合わせていく。表紙になる一番上と一番下のページは1枚、間にあるそれ以外のページは2枚の紙を張り合わせた状態で、全体がびょうぶの形になる。
表紙には厚紙を張るだけでなく、千代紙や布で覆う。布を用いる場合、市販の裏打ちシートを使えば、しわがよらずに、きれいな仕上がりになるという。
藪田さんの著書「あなただけの巻物・折り本づくり」(日貿出版社)を参考に、12ページ分を作ってみた。多少でこぼこはあるが、なかなかの出来栄え。見せに行くと、「初めてにしては、上手ですわ」。その言葉に乗せられ、和菓子の包み紙を表紙に使い、居間に飾った。和の風情を少し演出できたような気がした。
記者ノート…予想以上に軽くスムーズ
新人だった奈良支局時代、実はお寺の取材で折り本を見ていた。年に1度の大きな法要で、僧侶が数百巻もの経典の折り本を、1巻ずつ、題名を読み上げ、頭の上でかざすように広げては閉じていった。要所を読み、全部を読むのに代える「転読」といい、力強く、美しい所作が印象に残った。
折り本を手にしたのは、今回が初めて。その軽さに驚いた。「機械でプレスしていない和紙を使っていますから」と藪田さん。柔らかで、手にしっくりなじむ。僧侶の流れるような動きの謎が、十数年たって解けた思いだった。
自分で作った折り本を手に、転読のまねをしてみる。予想していた以上にスムーズに開く。これから、はがきや写真を張って、少しずつ重みが増していくのも楽しみだ。(前田利親)(2007年10月15日 読売新聞)
各地の夏秋表装教室では「和の工芸」シリーズというタイトルで9月から、和綴本や折り本、帙やミニ屏風を指導していますので、トッテモ有難い記事になりました。(2007.10.21)
「あなただけの 巻物・折り本づくり」(日貿出版社刊) 新装再販できました!ココクリック
夏秋徒然草 43 Biombo/屏風展
六本木ミッドタウンのサントリー美術館の開館記念展「BIOMBO/屏風」に行きました。何分出張の途中なので閉館きりきりの観賞でした。
さてサントリー美術館と屏風の関係は、この美術館のコンセプトが生活に密着した美術の蒐集にあり、そのあらわれとして掛軸よりも屏風の方をたくさん集めたということからきていて、今回の展覧会がオープニング記念展との位置付けだそうです。
屏風はほとんどの美術館・博物館が美術品としてかざり、壁に平面的に押し付けた状態で展示されていましたが、最近はプライスコレクションの若冲展のように立体的に立てかけ、光によってイメージが変わるという、制作、使用当時の鑑賞方式を取り入れた展覧会も出てきました。
もともとは風を防ぐ建具として発達した屏風
は、すごく多様な使い方がされてきました。今回のBIOMBO展はその多様性に光を当てて展示されています。なかでも私が最も注目したのは、出産場面に使われた「白絵屏風」、世界に二つしかない貴重なもので、文献でしか知らなかったものを、その実物を今回見られて大満足でした。
また明治時代の宮中の式次第の資料にある屏風の使い方からも、いかに屏風が多様な使われ方がされたかがわかります。
掛軸も屏風もどんどん使われなくなっている現代、このBIOMBO展がより多くの人に理解され、その素晴らしさを見直してくれればと切望しました。
なおその折目をつなぎとめる蝶番、日本で発明された紙ちょうつがいの作り方を、東京と大阪で教えますので良ければお越しください。初めて接した方は「魔法のようだ」と言われる和工芸技術です。(2007.9.12)
夏秋徒然草 42 古軸の修復

先般お預かりした掛軸、400年前の去るお寺にかかっていたものです。今や広げると、廻りの表紙は劣化していてポロポロと剥がれ落ちてきます。本紙の絹本は比較的画面が良く、色落ちや顔料の剥脱はありません。
相当大きいので、洗い専門の方にお願いしました。
職人さんは、巻かれた軸を見るなり開けもしないで、
「これはできない」
「なぜですか?」
「霊がこの軸に纏わりついています」
ということで、お坊様に拝んでいただきました。
再び持っていきましたが、霊が消えていないそうでやはりだめでした。ということでこちらで頑張ってすることになりました。
霊があるかないかは私にはわかりません。その職人さんは修験道を信じている方で、とっても霊感が鋭いということです。
修復現場はこういった科学とは別の問題にも対処しなければなりません。
私には霊は見えませんが、とっても大切に取り扱う気持ちだけはしっかり持ちました。(2007.8.15盂蘭盆会に)
夏秋徒然草 41 銀閣寺 茶室の起源と若冲の床の間
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観光客でごった返す京都銀閣寺、ここに本当の意味の日本文化の起源があります。 日本は有史以来、中国の影響をもろに受けてきた国です。平安時代の文化は大陸の文化と連動しています。 ところが貴族文化が終焉し、武士中心の中世が始まりますと、伝統にとらわれない文化が胎動してきます。 その中から完成したのが室町幕府八代将軍・足利義政の作り上げた文化です。禅の影響を受け、また応仁の乱の終わった空しい空気から、わびさびの世界が生まれたのではないでしょうか。 それを具現したものが、銀閣であり、住まいとした東求堂だったのです。 祖父三代将軍義満の金閣との対象が見事です。 春の特別公開でこの国宝の東求堂を、そして最古の書院同仁斎を拝見しました。 義政はこの窓の前の付け書院に座って書物を読んだり、手紙をしたためたりしたのでしょうね。 この場所には床の間はありません。床の間の生まれる前の姿です。窓を開ければそこには盛りのツツジと庭の石組、遠方には東山、掛軸に勝る景色が現れます。五月の時しか見られない贅沢を堪能しました。違い棚には骨董名物の花器や茶器、香炉が置かれていたのでしょうね。 下に敷かれた畳、それまでは絵巻に見られるような板敷に人が座るところだけ敷かれていた畳を部屋全体に敷き詰めました。四畳半です。 ということで日本の和建築のもとはここなのです。帰り際に違い棚にそっと触れて600年前を感じました。 |
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| さて5月13日相国寺では若冲展が開かれました。「釈迦三尊仏三幅と動植綵絵30幅」が一堂に並んだのは壮観でした。ここでは伊藤若冲が描いた金閣寺(鹿苑寺)書院の「葡萄小禽図床貼付床の間」と違い棚を取り上げました。室町期後半になると掛軸を飾る床の間が付け書院に代わって生まれます。この床の間は若冲の絵を張り込んだユニークな床の間と違い棚です。床の間は掛軸を掛けるため中心には絵を描いていません。大好きな床の間です。 それにしても銀閣寺では棚に触れたのに、ここ金閣寺から移したこの相国寺では強化ガラスの中に納まってしまっています。金閣も銀閣もおなじ寺の塔頭なんですがね。(2007.5.20) |
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夏秋徒然草 40 「葵上」
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| 第9回ひょうほゑ展に出品した作品です。本紙は父の所蔵の古い謡本をもとに作りました。 「葵上」は、源氏物語の葵の巻を世阿弥が能に仕立てたものです。シテは六条御息所の生霊で、題名の葵の上は出てきませんが、舞台に、霊に祟られ寝込んでいる姿を、一枚の小袖を置くこと(出し小袖)で表す素晴らしい舞台表現です。 六条御息所は賀茂の祭りの際、葵上から受けた侮辱に耐え切れず、生霊として葵上を苦しめます。薬石効なく、ついに修験者が呼ばれ祈祷が始まると、生霊は怒り、鬼の姿で現われますが、最後は法力によって浄化される場面で終わります。 本紙はシテが静々と現れる場面を動的にとらえました。バックには謡本の冒頭の言葉を入れました。作品を見ることで、能の音が頭の中に響けば成功です。 風帯は右は垂れ風帯、左は貼り風帯にしました。中にはこの物語のクライマックスの場面の言葉を入れています。「おもいしれ うれめしや・・・」 地の部分には般若の後シテがいます。 一文字や筋、風帯の縁は江戸期の古裂です。染むらを利用して、怨霊の凄まじさを表しました。(2007/4/15) |
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夏秋徒然草 39 「表具」と「壁画」
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夏秋徒然草34で紹介した木村英輝さんがまたとてつもないことをやってのけました。 1月17日京都の中心、四条通にあるデパート藤井大丸の屋上から、金で縁取りした真っ赤な群象を描いた巨大な幕を掛けました。16m四方の作品です。 京都に2008年サミットを呼ぼうとボランティアでの仕業。 奥さんの苦労話:廃校になった小学校の講堂全面を使ってビニールシートに碁盤の目を下書きしたときは足がつってしまったそうです。お金にならないことばかりしている壁画家、奥さんの苦労は絶えません。(2007/3/6) |
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徒然草38でちょっといちゃもんつけた「美の壷」の番組が本になりました。さすが本となるときちっとしたすばらしいものができました。(2007/3/6) 「表具」 NHK「美の壷」制作班編 NHK出版 |
夏秋徒然草 38 美の壺
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NHKの「美の壺」という番組は「日曜美術館」の初心者版といったコンセプトで創られた番組です。4月からスタートしてすでに33回になりました。 番組の中で床の間に掛けられた掛軸が異常です。まず写真でご覧のように、風帯がカールしていますね。これは掛軸を収納したとき、風帯を折って巻かないで、そのまま巻いたときおこる現象です。誰かが気がついて直すべきだったでしょうね。もう一つは修復の場面で、シュミレーションの掛軸の風帯の位置がおかしいのです。真ん中が開きすぎて不格好です。この写真はうまく撮れませんでした。番組全体は良くできているのにちょっとしたことで誤った情報が流れるとそれが正しいと思われ、後世に伝わることが恐ろしいと思います。細かいことですが日本の伝統を正しく伝える為にあえて記しておきます。(2007.1.1) |
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