
1979年オープンした東京神田神保町駿河台下の画廊拓の表装教室は、その後すずらん通に移ってから、表装ギャラリー拓と名をかえ、30年近く、京表具の実技指導をし、それを通して表装という和の工芸の普及に努めてきました。
常時50人近くの老若男女とともに、楽しみながら、教えてこられたと思います。
いまやプロになった人や、先生になった人もおられますが、生涯趣味一筋という素敵な方々が中心でした。
今回の閉講で、その楽しみを奪ったことは、こちらが原因でないにしても慙愧に堪えません。
東京には薮田夏秋表装教室が別にいくつもありますので、そこに移って戴きますが、楽しい同級生と離れ離れになるのは淋しいことです。(2007.12.15)
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佐々木珠美さん作 「酔余の文」
教室の仲間から「珠ちゃん」と愛称で呼ばれている気さくな佐々木珠美さん。
この掛物の書の部分は、そのユニークさに一目ぼれした知人の書家の作品で
す。詩句は「酒の無いよな極楽よりも堕ちて地獄の鬼と飲も」。この書をさ
らに生かすことができるのが表装の腕の見せ所です。そこでバックはブルー
(青海波)で三途の川を、左右の赤は酒飲みの顔の色を表現、そして軸先には
おちょこを配置しました。束京の展覧会(ひょうほえ展)で「着想が個性的」
と評価され、賞を獲得した作品です。そもそも表装をはじめたきっかけは、
朝日カルチャーの新聞広告に「糊からはじめませんか」と紹介されていたのを
見て、ちょっとやってみようかな・・・と。
気がついたら、もう13年たち、今では作品の余った布を利用して、絵葉書を
飾る小さな軸を作ったり自由な発想で楽しんでいます。「でも、まだまだ先
生に教わることがたくさん。教室もとてもいい雰囲気なんですよ」言葉どお
りのクラスです。


彼女は東北生まれ、ちょっとくらいイメージを持ちますが、いやいや東北のリオで生まれたのではないかと思われるほどの陽気で元気な、シニア女性です。時々お休みされるのは、「おとうちゃん」と世界旅行しているからとか。二ヶ月前はアフリカのサンタクルーズ島に、そして二週間前はスペインの巡礼のたび。
こんなに人生を楽しんで、教室を楽しんでおられる方は初めてです。「ビバ!はなちゃん」これからも仲間にも、私にも活力をください。(2006.8.10)
朝日カルチャーセンター名古屋の柳橋教室で表装を教え始めて20年近くになります。このなかでとってもユニークで素敵なバイタリティーあふれる生徒さんを紹介します。
以下は昨年暮れに出た当センターの紹介誌「ACC&C」秋号の記事です。
神戸朝日カルチャーセンターでは1980年オープン当時から表装講座を開き、多くの方が受講されましたが、1995年阪神大震災で三ノ宮にあった教室は多大の被害を受け、やっと9か月後再開、ほとんどの生徒さんが戻られ、私のところのスタッフ河村卓見先生に任せ、その後は順調に進めてきました。
ところが今年朝日カルチャーセンターの営業方針で神戸、奈良、千里教室が閉鎖されることになりました。
とっても残念です。雨にも風にも地震にも負けず来ていただいた受講生の方に感謝します。
全員に日本表装研究会から講座修了証をお渡ししました。


ヘレン(Helene Argfllies)さんは、フランスから日本伝統文化を学びに1年以上、京都に滞在しています。
書道と水墨画と、そして表具です。お年を召していますがとっても熱心です。
外国の方は大体短期間で学ぼうと熱心ではありますが、ちょっとオーバー気味で困りますが、彼女はとっても控えめで、いつも微笑を絶やしません。これってフランスの女性の特徴なのでしょうか。
さて掛軸は中級の二段表具です。先日の第9回ひょうほゑ展出品作です。
本紙は彼女の故郷南仏コートダジュールの近く、地中海に浮かぶ「ポルクロール島」を文字と絵で表現しています。
別に縦書きで筆で描いた英文字を軸に仕立てた作品も出品されました。
このポルクロール島は 300日以上晴天で、夏26度、冬14度の気温、ほとんどが国立公園なんで、楽園です。一度は行きたいですね。(2007.4.14)
「猫と○助と一人の女(ひと)」
谷崎潤一郎の「猫と正造と二人の女」は小説よりも1956年に撮られた森繁久弥主演の映画で特に有名で、森繁の女たらしの頼りない演技は秀逸でした。ここでは正造とは正反対の○助の話です。
毎月東京で会う○助さん、はるか房総半島の先端、里見八犬伝の里から出てこられます。85才とは思われぬお元気な方ですが、去年奥様を亡くされました。私のところで出来上がった作品を持って、「おーいできあがったぞー」と玄関を入ると、倒れておられ、既に亡くなっておられたそうです。奥様は若いときから心臓が悪く、人工心臓を埋め込んでおられ、それもちょっと前に、技術の進歩からどんどん小型化と機能アップする新しいものに変えられ、当分大丈夫だよねと言っていたばかりだったそうです。もともとは学校の職員であった○助さん、今と違い「男」が八百屋や魚屋で買い物をするのがとっても苦痛だったそうです。泊りがけの旅行もされず、東京に出てきても、「かかあが心配だからもう帰るよ」と急いで帰っていかれました。その甲斐あって奥様比較的長生きされたのでしょうね。「誰もいない家に一人でいるのって辛いよね」とおっしゃっていた○助さん、最近は「お、ちょっと早く帰るよ」えっ!誰か待ってるのと思いました。そうしたら「猫を拾ってきて世話してるから、寂しがるのでね」。
明日から東京です。また○助さんに会います。いつまでも元気でいてほしいものです。
インターネットとは縁遠い渡辺さん、ブログのコピーをとって渡したところ、喜んでいただいて、頂いたのが館山の名産巨大いちご・・・美味しく頂きました。(2006.4.12)

表具の仲間たち 1 館山の渡辺嘉助さん
表具の仲間たち 2 ビル
先日私の留守に来た女性、「ビルの家内です。ビルからメールを聞いてほしいといわれので、里帰りの途中来ました」
びっくりしました。6年ほど前、京都のKBSの教室で表装を学んでいたあのビルさんだったのです。音信不通だったのです。結婚していたのですね。そのあと彼からメールが来て、旧交を温めました。
彼はロスに住んで大学に通っていたとき、交通事故にあい、それ以後車椅子の生活、日本文化に興味をしめし、来日、尺八を始めました。
そして私のところに来たのです。覚えも早く上達しましたが、どうしても大きな作品は立たないと出来ないので、小さなもののみ作っていました。
ある夏の日、泳ぎに行かないかと誘われました。
「一緒に行くとただだよ」と冗談にいわれてついていきました。
高野川沿いにあるプール、ここは身体障害者のための施設でもあります。水着に着替えると、ビルをプール用の車椅子に乗せ、プールのスロープまで連れて行きます。半分まで車を沈め、ビルが水に入ると、私は空の車椅子を所定の位置に返します。そしてプールから出るときに再び車椅子を借りて彼を引き上げるのです。
介添えはこの二つのみで後は自由に泳ぎます。足が使えないビルのことを最初は心配していたのですが、競争しようといわれ泳ぎましたが、負けてしまいました。水の中でははるかに彼は自由だったのです。
現在彼はアメリカで尺八を大学で教えたり、映画「ラストサムライ」の音楽に加わったりの生活だそうです。残念ながら表装は場所がなくってやってないそうです。(2006.5.20)