戻り橋 44 ひょうほゑ展報告
平成19年(2007)3月30,31日・4月1日京都アスニーで開催のひょうほゑ展多くの出品を得て無事開催できました。

来られた方のほとんどの言葉、宝石箱(もしくはおもちゃ箱)をひっくりかえした様な展覧会ですね。楽しかったです!。
普通は書の展覧会や絵の展覧会を見られている方にとっては、書あり、絵あり、写真あり、切り絵あり、ポスターまである展覧会はそうざらにはお目にかかれません。

おまけに掛軸も普段見慣れたものではなく、筋がいっぱい入っていたり、古裂でできていたり、中には包装紙ででき
たものや、人形がぶら下がったものまであります。技術は伝統を守り、デザインは今を表す、会のモットーが生きていてうれしい限りでした。いずれ作品集を作りたいものです。
ところで入口の模型は 平安時代の外国人(といっても中国)をもてなす御殿。明日13日は中国の温家宝首相が京都迎賓館に泊まられるとのこと。1000年時を経て、中国生まれの掛軸や屏風も日本の京都で花咲いていますよ、温家宝さん!(2007.4.13)

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戻り橋 33  小野篁井戸

さてこういう人にありがちな生意気さが災いして、遣唐使に選ばれながら仮病で行かなかったことなどから、天皇から隠岐の島に流されてしまいます。そこで呼んだ有名な歌「わたの原八十島やそしまかけて漕ぎいでぬと人にはつげよあまのつり舟(古今和歌集)。ただものではないのはこのプレーボーイ、隠岐で恋愛をしているのです。篁の知識を惜しんだ天皇が二年で許しますが、恋した土地の女の子阿古那はとっても悲しみますと、彼は彫刻家に変身地蔵を彫って私と思いなさいといって都に帰ってしまいます。今もこの木彫は隠岐に残っているそうです。007かスーパーマン小野篁、この井戸から戻ってこないかしら。(2005.9.1)


10月16日九州国立博物館が大宰府にオープンしました。わが国4番目の九州人悲願の博物館で、立地からアジアとのつながりを重視するそうです。
さてこの建てられた地のすぐ側の大宰府と観世音寺にまつわる話です。
霊亀2年(716)阿倍仲麻呂を大使に吉備真備とともに唐にわたった玄ムは法相宗を学び、玄宗皇帝から紫の衣を戴くほどの優秀な僧徒でありました。19年後、天平7年(735)五千余巻の経典を持って帰国します。数々の業績によって僧正となり、吉備真備とともに橘諸兄政権の中心人物となりました。天平12年(740)玄ムと真備の排斥を狙い、太宰府で藤原広嗣が反乱を起こしますが失敗します。この5年後天平17年、玄ムは観世音寺の建立に従事し、落慶法要の日に死んでしまいます。これは広嗣の怨霊のせいで、雷に打たれた玄ムは奈良の興福寺(玄ムの寺)に体がばらばらになって落ちたそうです。これを集めて供養したのが高畑町にある史跡「頭塔」といわれています。あまりの怨霊に恐れて九州には広嗣を祭った神社まで出来ました。しかし文化史的には玄ムの方がはるかに素晴らしい仕事をしました。その一つが「千手千眼陀羅尼経残巻(玄ム願経)」です。
天平13年(741)に1000巻を書写させたが今日たった1巻残った国宝です。大宰府は遣唐使を廃止した菅原道真が流され、怨霊となり都を恐怖に落としますが、その前藤原広嗣が左遷され、怨霊となり、遣唐使であった玄ムを殺してしまった。そういう歴史の上に建つ九州国博、歴史の重みを思い、訪れたいですね。頭塔石仏・井真成
なお玄ムと同じ時期に行ったと思われる井真成、墓誌が中国から里帰りしてますね。(2005.11.1)

「夏秋展in京都」無事終了しました。前日までの雨模様もすっかり晴れましたが、猛暑が押し寄せた京都、祇園祭の囃子も聞こえてきそうな町、行き交う浴衣姿の人々がガラス越しに眺められる会場を暑さにかかわらず、多くの方に来ていただき有難さで一杯の中での六日間でした。

会場は京都以外の方にはちょっとわかりにくい場所でしたが、それにもかかわらず、探し探してきていただきました。遠くは新潟や名古屋や岡山など、祇園祭にあわせて、何人もの方が着物姿で来ていただいたのには感謝感激です。もっと驚きは90歳の表具をやっておられるおばあちゃんが私もうさぎ年よといって握手までされました。がんばらなくっちゃ!(2005.8.1)

京都は六道さん(六道珍皇寺)でお盆のお精霊さんを迎え、大文字の送り火であの世に帰ってもらう慣わしですが、この六道さんの隅っこに小野が冥界に通ったという井戸があります。槙にぶらさがってヒョイっと降りたそうです。
小野篁(802年〜852年)は嵯峨天皇につかえた平安初期の人で、小野小町の祖父でもあり、武芸百般に通じた180cmも身長があった威丈夫で、また学者・詩人・歌人としても知られまーカリスマ貴族だったのです。凄いのは昼は宮中に参内し、夜はアルバイトとして閻魔庁に通っていたそうです。その通い道がこの井戸で冥界に通じているとのこと。また帰れるなら行ってみたい気もします。

戻り橋 32  夏秋展in京都

戻り橋 31  あねさんろっかくたこにしき

いよいよ来月は「夏秋展in京都」です。
遠方からこられる方?のために地図をつくりました。おこしやす京の夏・・夏秋展。
いつも口ずさみながら京を走っている私のわらべ歌をどうぞ。上(かみ)から
まるたけ えびすに おしおいけ
丸太町・竹屋町・夷川・二条・押小路
あねさん ろっかく たこにしき
姉小路・三条・六角・蛸薬師・錦小路
しあやぶったか まつまんごじょう・・・
四条・綾小路・仏光寺・高辻・松原・万寿寺・五条・・・
東から
てらごごふやとみ やなぎさかい
寺町・御幸町・麩屋町・富小路・柳馬場・堺
たかあいひがし くるまやちょう
高倉・間之町・東洞院・車屋町
からすりょうがえ むろころも・・・
烏両替室衣・・・               (2005.6.9)

戻り橋 30  夏拓秋装展B

4月12日〜17日まで銀座鳩居堂での藪田夏秋の個展「夏拓秋装B」は多くの展覧を得て無事おこなわれました。今年は桜開花が遅れ気味で、いつもは散っている東京の桜も満開、また京の桜も咲き揃うという季節でした。ということで会場にも桜をあしらい、5本掛けた色紙掛にも京の咲きたての南禅寺周辺の桜の写真を掛けました。実をいうと、私は兎年、時は卯月、兎をあしらった色紙掛を飾り、卯の花を添えようと
思ったのですが、卯の花に
はまだ少し早い季節で桜に
なりました。散りゆく桜の花
びらを添えて、モノクローム
の拓本を見てもらうのも一興
ではなかったでしょうか。
(2005.5.11)
またまた掛軸に対する誤解を見つけましたので、注意を喚起します。朝日新聞2005年2月11日版2面に掲載の「山田紳」さんの政治漫画、小泉首相と思われる侍または刀砥ぎ職人が刀を研いでいる場面です。後ろの壁に掛かる(紐がないのでたぶん掛かっていると思われる)掛軸は何なのでしょうか。最近漫画やイラストで軸まがいが多発、現代か昔かわからないので、タペストリー(壁掛け)ならば、許されるものもあるかと思いあまりいわなかったのですが、これは明らかに江戸期と思われる場面、その時代はタペストリーはありませんから、これは間違いです。掛軸なれば、まず書作品の上部を大きく、下を小さくすべきです。また上の部分、はみ出たものはありません。八双といって軸と同じ巾です。下部の軸棒部分に風鎮といわれるものがぶら下がっていますが、障子の破れたこの家にはふさわしくありません。画家の方、どうか日本の文化もっと大切にしてください。ラグビーフアンの私にとっては朝日新聞は愛読紙ではありますがちょっと苦言です。

「徒然草」22の唐紙と壁紙の記事につきまして、堀木エリ子&アソツエイツから若干の訂正と追加のメールをいただきました。訂正は22でいたしましたが、長文のものについてはここに転載させていただきました。
 (「光による変化」につきましては、建築に施行されたものも窓からの太陽光線の差し込み具合で変化したり、照明による変化をつけることが可能で、実際に様々な表情の変化をみていただけます。英語での説明のため不十分な部分があったようで、大変失礼致しました。
堀木は和紙の最大の魅力は光の変化により移ろう空間を演出できることであると考え、その魅力をたくさんの人に伝えたいという思いで活動をしております。そこで、和紙をデザイン・制作する時にも、必ずその空間の光の条件を踏まえてデザインし、制作・施工までてがけております。そのため、実際の空間でも光による変化を楽しんでいただけるようになっています。」)
ご丁寧に有難うございました。英語はちょっとは話せるのですが、聞き取りはだめで反省しております。堀木さんとスタッフの皆さんこれかれもご活躍ください。(2005.2.20)
朝日記事

戻り橋 29  掛軸?

訂正掛軸

戻り橋 28  最古の酉(鳳凰)

戻り橋 27  中越地震

この酉は、我が出版社であって、表装、拓本材料販売や表装、修復、採拓をする「綜芸舎」のマーク、中国で発見された紀元前の布に描かれていた鳳凰、1950年、出版社を起こした父によって採用されたものです。今年は良い年にしたいものです。4月12日〜17日 東京銀座の鳩居堂で個展「夏拓秋装展B」を開催いたします。その準備で暮れも正月もなく制作しております。昔と違って体に無理が利かない年になってしまいました。鳥のように飛べたらと思います。(2005.1.1)
鳳凰
最近若いかだが何人か教室に習いに来ています。掛軸なんて若い人には無縁の世界で、軸なんて見たこともなく、見たとしても古臭いものの代表くらいの認識だと思ってきました。そしてこの素晴らしい工芸品と技術がいつか廃れる心配をしながら、そこそこの年代の人に教えてきましたが、ここにきてすこし希望が持ててきました。問題は女性ばっかりで、若い男性が来ません。おーいおとこども!ちょっとは伝統に興味をしめせよ。表具屋の息子が跡を継がないとわかるとその店ではほっとする時代(これは食べていけないからですが)、伝統は職人ではなく、好きで始める人たちに受け継がれていくような気がします。敬老の日高齢者に無理やり入れられた日に。(04.9.20)
KBS教室

戻り橋 26  若い人

なまず
10月23日発生の新潟の地震で多くの方が被災されました。お見舞いいたします。何も出来ませんが、京の地震のお守り、大徳寺西にある今宮神社の古いなまずの拓本を載せて中越のお守りとしたいと思います。その日私は東京の表装ギャラリー拓で表装教室を開講中、古いビルがゆさゆさ揺れてどこに逃げようかとあわてました。その後ラジオで震源地を聞き、その大きさに二度びっくり。今も続く余震と二次被害に心痛めております。実は次の日の授業に新潟から通ってくる生徒があったのですが、電話で無事とのこと、一安心、でも交通がずたずたで来られなくなりました。その方以外にも何人かの知り合いがおられ、無事を祈っております。(04.11.5)
今年も京の夏に祇園祭の囃子がコンコンチキチ コンチキチと聞こえる季節になり、本番の巡行よりイブの宵山が好きな私は二日続けてお参りしました。というより雑踏に身を任せたというほうが正しいでしょう。別名「屏風祭り」といわれたこのお祭りも、年々屏風を飾るところが減り、我々にとっては寂しい限りで、昔は祭りの間はお休みだった呉服屋や和物屋も従業員総出でバーゲンに汗かいているセチガライ世の中になりました。さて鉾の中でも一番のご贔屓は船鉾、陸に上がっている船を見るのも珍しいのに、この巨大な船が町を通る姿は凄いとしかいえません。今では高い建物の間にはさまれてそれほどではありませんが、昔ほとんどが平屋の町中を通る船鉾を見た当時の町衆はさぞやびっくり仰天ではなかったでしょうか。ちなみに毎年京都の本舎と東京の表装ギャラリー拓には船鉾のちまきを祀り厄除けしています。最近各鉾ではちまき食べられるのか聞く観光客も増えて、食べられるちまきも売っています。
この船鉾を見て思い出すのが、ブェルナーヘルツォーク監督の「フィッツカラルド」という映画です。アマゾンでオペラを見たいという主人公(クラウスキンスキー)が大きな蒸気船を山越えさせる映画で、同監督の「アギーレ」とともに大好きなシネマの一つです。(04/08/01)
船鉾

戻り橋 25  船鉾

5月5日こどもの日に始まった「ひょうほえ展」は9日700人の展覧者を得て無事終了。日本拓本展と同時開催であったため、作品が200点以上集まり、美術館の用意した金具も足らず、一時はどうなるかと思いましたが、間隔をつめて何とか収まりました。お手伝いいただいた会員や教室の生徒さんには感謝。通りすがりの人やマスコミの宣伝がなかったのは悔やまれます。来年は京都で秋に開催したいと思っています。
さてこどもの日にちなんでミッキーです。受賞された梅林美江さんの作品で、「ひょうほえ展」サイトに全体像がでていますが、苦心の部分を拡大してみました。作品はデズニーランドで売っているハンカチーフで、周りの布ともども裏打した後、カットし、パーツを継ぎたてて、全体を裏打ちして仕上げますが、その前に色とりどりの七々子という薄布をミッキーの形に無数に切って貼ったもので、近づかないと見えません。掛軸という若い人には近寄りにくい世界にこんなんもあるんだよと興味をひきつける役割を果たしてくれたことは素晴らしいことです。ネーミッキー!(04/6/6)
ミッキー

戻り橋 24  ミッキーとミニー

戻り橋 23  13歳のハローワーク

昨年いつ頃か失念しましたが、幻冬舎から電話で若い人が表具をしたい場合の問い合わせがあり、色々話しましたが、その後忘れておりましたところ、なんと村上龍の「13歳のハローワーク」(幻冬舎2600円)という題で出版され、その1項目に「表具師」が取り上げられ、話したことが載り、多分お役に立ったんだと思っています。他に513種の職業が紹介され、大人の我々にとってもとっても興味深く、役立つ内容で、2月現在ベストセラーになっているそうです。最近は表具師の子供が跡を継がないことがわかると親は喜ぶという厳しい経済状態の世界ですが、やはり若いときから修行するのが一番いいわけですから、この本を読んで一人でもこの世界に入る人がいればありがたい事です。教室でもよく受講生からもっと若いときから始めればよかったという声を聞きますから、村上龍さん!次は「13歳からのカルチャースクール」なんて本出してください。(04/2/18)
ハローワーク
今年もよろしくお願いします。掛軸と屏風を通して日本の文化を考えていきます。
「おーい!逃げないで、ゆっくり進もうよ」(2004/1/1)
鳥獣戯画

戻り橋 22 あけましておめでとう御座います

戻り橋 21 フィンランド

戻り橋 20 おなす

あれから2年 2001年8月、フィンランドのIMPACT国際版画会議に招聘され、拓本と表装を紹介してから立ちました。直後起こったニューヨーク同時テロ事件のため出鼻をくじかれ、報告が遅れてしまいました。今回本部で報告がまとまり、インターネットで紹介されましたのでご覧下さい(英文ですが)。私自身の報告はまた機会をみてしたいと思います。(03/10/10) →IMPACT
フインランド
長かった梅雨も終り、本格的な夏に突入、京都の祇園祭は、珍しく宵々山も宵山も本番、鉾の巡行も晴れて、多くの人に混じって祭りを楽しみました。そうこうしているうちに、もうすぐ大文字送り火。なんか暑い暑い京も堪能しない間に終わりそうです。
昔、貴方はどういうとき幸せを感じるかといわれ、
「暑ーい夏の、西日が簾越しに差し込む夕飯に、丸煮の茄子をご飯に載せて食べるときとっても幸せを感じる」といったら、安くつく幸せですねといわれました。でもいまでもお袋の味よかったなあと思い出します。畳もちゃぶ台も、団扇もなくなった我が家です。(2003.8.8)
なすび
千社札

戻り橋 19 寄席文字と千社札

今年2003年5月13日〜18日まで東京銀座・鳩居堂4階画廊で開催しました「夏秋・洗山展」は連日数多くの方がこられて成功裏に終わりました。特に江戸文字を中心にした府川洗山さんの和装本の展示には、関係者の勘亭流の伏木寿亭さんや千社札の小林良一郎さん、相撲文字の元30代 木村庄之助さん、寄席文字の橘左近さんなどそうそうたる方が見えられました。左の「夏秋」は勘亭流の伏木さんに、右の「藪田夏秋」は千社札の小林さんに書いていただきました。伏木さんは歌舞伎座の看板を書かれている方です。「イヨー大統領!」なんて大向こうから声がかかればと思います。(03.6.20)
寄席文字

戻り橋 17 おけら火 

戻り橋 18 お雛様
お雛様このお雛様は父が生前書斎の本棚にずっと飾っていた丈が8センチにも満たない古小雛です。顔は黒ずんでいますが今も大切に本棚に飾っています。さて私が高校のとき、あるお寺のお嬢さんと付き合っていました。たまたま3月に行ったとき、お雛様を飾りましたので見ませんかといわれ、お部屋で拝見したのはもっと古びた立派なもので、可愛いというより怖いという印象が残りました。それから45年、昨日彼女が3年前に亡くなっていたということを聞き、愕然とするとともに、青春の1頁を思い出しました。ご冥福をお祈りします。(2003.3.3)

ついにと言うかやっぱしと言うか、とうとう腰痛(診断結果椎間板ヘルニア)でダウン、それも出張中の東京のホテルで。七転八倒で夜をあかし、東京教室まで10歩歩いては休み、また歩き、冷や汗タラタラで行き、何とか授業を終え、帰京。MRI検査後コルセットを巻くことになりました。ただでさえ太りきみの我が腹は94センチ、ズボンが入らない。ただいまスタイル抜群悪くしておりますが、あの痛みを考えると容姿はお預けです。原因は8月の暑さで、ウォーキングをやめ、クーラーの中でパソコン漬けになっていたのがいけなかったんだろうといまさら悔やんでいます。パソコンはとっても面白い道具です。熱中しがちですが皆さんもご注意ください。(02.10.16)

戻り橋 16 腰痛

おけらあけましておめでとうございます。私の腰痛は去年大晦日にやっとコルセットとおさらば・・と思いましたが、暮れに仕事が入ったため、コルセットを締め直して、正月から刷毛もって頑張ってます。因果な商売です。
大晦日には祇園(八坂神社)さんでおけら火もらって、かまどじゃなくって、ガスコンロに火つけ、お雑煮を炊きます。向いが有名な白味噌屋なので、道路は渋滞、隣は羊羹の虎屋なので夜遅くまで仕事の音、こちらも負けずと打刷毛でトントントンと叩いたあとのおけら参りでした。昔は雑煮炊くのは亭主の仕事だったそうです。まず豆の枝に火をつけ、それを栗の木に移して炊き上げる。竈も遠くなりにけり・・・ですね。ではことしもどうかこのホームページご覧ください。(03.1.1)

京都地図なんとなんと!我が綜芸舎のすぐそばの中学校(我が母校)の発掘現場から金箔瓦が出土しました。・・ということは???我が家を掘れば金銀箔瓦出土!なーんて夢見る今日この頃、暑い京都の夏です。ところで今年は初盆、霊のお迎え(京で六道はおしょらいさん)を迎えるため、御花を買いに東山の六道さん(珍皇寺)に行きましたが、夕方で店じまい。30年ほど昔は六道さんも大賑わい、通りは夜店で一杯、ゆかた姿で人ごみの中を歩いたものでした。そして門前の参道両側ではびっしり蓮が並び売られており、なにか極楽の通り道のようで、異界へ入るという感じでした。中に入ると地獄絵の掛軸が掛かり、大きな閻魔さんと小野篁(この歌の達人もここでは現世とあの世との橋渡しの神)の像が睨みを利かしていて、迎え鐘の音がえんえんと聞こえ、卒塔婆を清めるための煙が充満する不思議な世界でした。ちなみにこの鐘も不思議なつき方をするものですね。鐘を見ず、鐘楼の下から出た縄を引っ張ると音がする。他に例があるのでしょうか。(02.8.13)

戻り橋 15 お盆

けまり蹴球、これってサッカーのことです。英語ではフットボール、イギリスで生まれるずーと前千年以上まえ京の都では蹴鞠としてみんなやってたんどすえ。家のすぐそば白峰神社に、蹴鞠の神様が居られます。トルシェ監督もここいお参りしたらトルコに勝てたのに・・・。現在少し虚脱状態。
でもいいんです。大好きなラグビーワールドカップ予選 韓国に大勝 バンザーイ!
梅雨真っ只中、でも7月になれば祇園祭。京都におこしやす。(02.06.22)

戻り橋 14 蹴球

牛車明日5月15日は京都三大祭のひとつ葵祭、御所を出立して下鴨神社でお昼、上賀茂神社が終点というこのお祭りは源氏物語にも出てくるほど古いお祭りです。でも梅雨のはしりで結構雨で中止になることが多く、明日も心配。ところで18日には我が家の前を上御霊神社の祭礼が通ります。不思議にこの日は雨が降らない。我が家もお神酒処で少し休憩する場所になっています。昔は威勢のいいあんちゃんがふんどし姿で神輿を担ぎ、荒々しく練りまわったが、今はおとなしく通り過ぎていきます。東京三社祭りの神輿より大きいと思うが如何。平安京遷都の際に御霊を鎮めるために造られた上御霊神社は中世応仁の乱発祥の場所でもあり、われわれ氏子は今もこの神社に守られ守っているのではないでしょうか。小さいときは前日の夜店が楽しくて楽しくて一日過ごしたものでした。ついでですが、13日は嵐山虚空蔵さんに13歳で御参りする13まいりがありました。4月と5月の13日のみ行われます。京都の子供は皆行ったものです。お参りした帰り、渡月橋を渡り終えるまで振り向くと、折角授かった知恵がなくなるといわれ、必死に渡り終えようとし、これから御参りするものは振り向かせようと、盛んに声をかける、楽しいひと時でもありました。渡り終えると両親からご褒美に橋のたもとの茶店で団子を貰ったものです。(2002.05.14)

戻り橋 13 葵祭

戻り橋 8 御所

御所桜池今朝4月4日晴れ、京都御苑(御所)の北西にある近衛邸跡地の池の畔の桜。
戦時中(勿論太平洋戦争、京都の人が前の戦はといえば明治維新の伏見のいくさを指すと言いますが、そんな年寄りではありません)に生まれた私にとって御所は最初は空襲を避けるための巨大防空壕で過ごした場所。終戦後は格好の遊び場であした。殆どの人は知らないでしょうが、今野球場になっている東端の広場ではオートレースが行われていて、陸王というバイクが轟音を響かせて走り回っていました。夏の夜は地ゼミ採りに懐中電灯を照らして探し、所々でアベックに出くわしました。この時代家には数家族が住むこともあり、モテルなどなく、御所は都合の良い場所であったらしい。この池・瓢箪池も遊び場で、泳いだり、オタマジャクシを採ったり、木に紐を掛け、そのころ入ってきた映画のまねをしてターザンごっこをして遊びました。いまは管理が行き届きとってもきれいですが、鉄網で囲われ入ることができません。いいことなのかよくないことか。京都の今の子供は可哀想なのはたしか。(2001.4.4)

戻り橋 10 戻り橋

拓本戻り橋私が通った小川小学校の前を流れる小川は表、裏千家の近くを通り一条通で西へ、堀川に合流します。当時小川は染め物工場の排水で虹色に染まっていましたが、今は暗渠となり、道が広げられ、一条堀川に架かる戻橋も掛け替えられました。
さて先日散歩の途中晴明神社を覗いたところ参道に戻橋の欄干があるではないですか。さっそく採拓しました。なお欄干の上には清めの塩が置いてあり、いかにも陰陽道といったところです。この戻り橋には晴明にまとわりつく鬼の子を晴明の妻が封じ込めたといわれています。奥さんも術が使えたんだと一人関心。ついでですが鴨長明の方丈記に「一条室町(私の住まう処)に鬼女がでた」との記述があり、京都は昔から魑魅魍魎、百鬼夜行の街でもあったのですね。(2001.5.20)

戻り橋 7 春の雪

冬の一条
もう春です。雛祭りも終わりました。京都では旧暦のお雛様で4月に飾っていた記憶があります。姉のお内裏様の刀を抜いて遊んでいて怒られたものです。京の冬の旅で、前のお味噌屋さんに沢山の観光客が来ますがそれも終わりでしょうね。隣の羊羹の虎屋さんの先代の遺したお雛様が東京赤坂の本店で飾られ、素晴らしい物だったと人つてに聞きました。昨日3月9日京都に雪が降りました。一条通り虎屋から京都御所にかけて銀世界。寒糊つくりが遅れてます。はよーしなあ あかへん。(2001.3.10)

戻り橋 6 大晦日
戻り橋 5 目録

20世紀も終わりました。京都は大晦日は大騒ぎでした。何世紀ぶりかで大文字を含む京都五山に火がつき、鞍馬山から松明が下りてき、北山の松上げの火の粉が舞い、新年を祝いました。でも私は普段どおり知恩院の日本一の除夜の鐘の音を聞き、祇園八坂神社でおけら火をもらい、縄をくるくる回しながら新年を迎えました。「おめでとうさん」(2001.1.14)

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良質な出版をめざして出発した弊舎も50年、世の中も変わり、地方からの少部数の出版は書店に並ばず、著者も中央に目を向け、発行点数も少なくなり、今は表装、拓本中心の経営になりました。でも世の変化に繰り言を言わず、視点を替え、伝統文化の担い手の一人としての総合企業(最小)をめざして21世紀に向かいます。ご支援よろしく!(2000.8.2)

戻り橋 1 はじめに

ホームページを立ち上げて半月、一月ほっておくと忘れられると言うことなので、更新!
先日、倒産した大手の取次店柳原書店の管財人からわずかな入金がありました。40年以上の取引がありました。残念なことです。そういえば青春時代いつも本を買ってた駸々堂も、いらない蔵書を売っていた京都書院、先々代から仲良くさせていただいた光琳社も今はありません。いずれも京都から良質な出版を出していたのに、何故という思いです。(2000.8.20)

戻り橋 2 倒産

9月11日午後4時東京駅を新幹線で京都に向かったひかりは富士あたりから徐行になり、浜松でストップ、少し進んでは止まりで、豊橋で全く動かなくなり、いつの間にか翌日の朝になってました。結局20時間以上たってついたところは横浜。なんのこっちゃの二日間。ところで大活躍は携帯電話のメール、電池を消費しないで、多くの人と連絡できました。テレビの情報を流してくれて、情報のない車内ではとっても貴重でした。(2000.9.30)

戻り橋 3 新幹線宿泊

さきほど「京都発21世紀の出版を考える」が日本書籍出版協会の主催でおこなわれ、弊舎も代表的な本三点出展しました。京都の出版社は現在140社、ほとんどが小出版社で小部数の本をがんばって出版しています。ちなみに出展は「石刻」「常陸鏡塚」「日本石材工芸史」。現在販売は「石刻」のみです。東京支店(画廊拓)の前の神田神保町すずらん道では恒例の本の祭りがあり、多くの出版社が出展しましたが、初日快晴ながら夕方から雨降り残念祭りとなりました。(2000.10.31)

戻り橋 4 京の出版

新しい目録ができました。出版は相変らず出せません。自費出版されませんか。お手伝いします。(2000.12.6)

戻り橋 9 松桜

御所桜松御所続き 桜を見ながら、でも皇太子のお越しで警官一杯の早朝ウォーキングで東側にある野球場に行きました。なななんと塀に囲まれ和風迎賓館になるそうです。じゃーいままで市民が楽しんでいた場所はどうなるのかしら。がんじがらめの御所になりそうです。さてその前(学習院跡)に名物の木がありました。大きな松の木の上に桜が咲いていて、若いときよく見上げて楽しんだものです。 久しぶりに来たら倒れていました。5年前に倒れたそうです。でも桜は元気に花を咲かせています。庇を貸して母屋を取られたと見るか、親を栄養に子が育つと見るか。表具師の私にとっては師匠を乗り越えて弟子が育てばとの感慨を覚えました。(2001.4.7)
 

二千二年もスタートしました.去年から今年に掛けて寝る間を惜しんで個展の準備をしてました。もっとはやくしたらいいのにと、私自身も思いますが、やはり一挙加勢にテンション挙げてやらないといいものができません。制作中の間は無我夢中ですから、他の仕事がみんなお留守です。ホームページ更新も遅れました。でも新年でもあり、神頼みも必要ですので、正月三日戻り橋を渡り、晴明神社にお参りに行きました。というより近くまで行きました。が、かって閑散としていた神社の回りがいっぱいの人人人、遠くから手を合わせて帰った次第です。お祈り届いたかしら? (2002.2.21)

戻り橋 11 晴明さん

御所桜今朝五時起きで、京都御所ウオーキング、去年暮れより中断していた運動を再開しました。そして御所中ほどの池のほとりで満開の枝垂桜発見(8話参照)、京都気象台も開花宣言。さあこれから京の春どすえ。おこしやす。前日は清水の二年坂の神社の墓地にある碑の採拓。今年初拓本でした。地中半分埋まっていたものを掘り起こし、採拓しました。明治4年のもので、歌が十首ほど彫られており、神社でこれから解読するそうです。このあたりも人人人、その間をぬって女の子を乗せた人力車が坂道を必死であがって行きます。ああしんど!お疲れやス。(2002.3.18)

戻り橋 12 枝垂桜

戻り橋 35 大和の茶室

ここ数日、建築に対する不信が全国的に広がっています。国の難しい試験を通って建築士になった人が、壊れる建物を建てるなんて想像できません。日本は何か病んでいるのでしょうか。昔は資格試験も何も無い時代建てられた最も高い東寺の五重塔300年経つのに震度5でも建っております。どんなに科学が発達しても最後は人間そのものが問題なのです。
さてそんな中、とっても素晴らしい仕事をされている建築士さんがおられます。奈良の女性建築士会がなら一帯の茶室を調べて纏め上げられたのが「大和茶室探訪」(建築の原点を求めて・奈良建築士会刊)です。
京都の茶室の本は珍しくありませんが、奈良県をこれだけ調べられたのは初めてではないでしょうか。それも情緒的に流れるのでなく、建築士の目から捕らえられています。そしてなによりもきちっとした図面があるのが特徴です。
地震国日本で壊れない建物を建てようと努力してきた先人たちの思いを、今の建築に携わる人は学んでほしいです。(2005.12.1)

戻り橋 34 玄ムと九州国立博物館

戻り橋 36 仮張り

表具、特に掛軸製作には仮張台は必需品です。裏打した湿った作品や掛軸を乾かす板で、掛軸の大きさに合わせて、2メートル越すものから1メートル大まで、各種取り揃えなければなりません。作品で1〜2週間、軸の場合は半月から1月、物によっては2ヶ月以上も貼って乾かします。枚数も相当必要になります。本来は襖地のような組子に和紙を何枚も貼って、最後の表面には剥がしやすいように柿渋を塗りこんで作ったものです。反らず軽くて、作品の乾燥にあわせて、板も張られていくので、むっくりと自然な乾燥が出来ます。作品と呼吸を合わせながら乾いていくわけです。
これがカルチャースクールでは使えないのです。厚みがあって収容が出来ないこと、柿渋の匂いが他の講座に迷惑をかけること、何分紙で出来ているので取り扱いが難しいことなど、そこでなるべく反らない、アクの出ないベニア板を使用することになりました。
ところが最近ある教室で、工事の人が間違って養生板として使用してしまったのです。作業靴で踏まれてずたずた、前の仮張りの和紙の残りがついているといえども、何かが貼ってあることわからないはずは無いんですよね。
仮張りは工房によっては表向きに貼りますが、私は必ず裏向きに張るよう指導していたので、作品そのものはほとんど無事だったので不幸中の幸いでした。お正月はこの修理から仕事始めです。(勿論建築会社、ビル管理会社等は謝罪と再発防止を約束してくれましたが。)2006.1.1

戻り橋 37 ブログ「kinrandonsu」

世の中正月から大変です。姉歯の事件の後はライブドア、そして東横イン。姉歯のときはふーん世の中には悪い奴がいるもんだと思っていたら、次はホリエモン、逮捕後新しい社長になったのは「弥生」の社長、これって当方の使用している会計ソフトではありませんか。毎年税務会計が改定されるため、何時も更新が必要なソフトなのにこれが出来なくなったらどうなるのと心配です。そして東横イン・・・先日横浜西口泊まったばかりだったのです。京都に来る人にも良いとこあるよなんて宣伝してました。
でー世の中何があるかわかりません。そこで日々をつづっていく事にしました。表具や拓本以外の映画や小説、ラグビーや京都の町を紹介しています。よければご覧ください。(日中はちょっと重いので、ライブドアブログにしようと思ってましたがやめました。どうかゆっくりご覧ください)(2006.2.1)
「はてなダイアリー」kinrandonsu  http://d.hatena.ne.jp/kinrandonsu/

入った正面の壁面には2メートルを超える、巨大な蓮の拓本や蔦の拓本を展示し、側面には里見八犬伝の挿図を、江戸期の着物の裂を使って、新しい感覚のデザインに仕立てた作品を並べました。多くの方からお褒めの言葉をいただきありがたく思っております。
また府川洗山先生の微細な作品や、和装本の題材の小池邦夫先生の絵手紙や小木太法先生の書を熱心に見ておられました。
会場が和物を扱う鳩居堂なので、イタリアの方とかアメリカの方が来られたり、偶然銀ブラ中のカップルが入ってきたり、中にちょっと足が不自由そうなのでお幾つと聞いたら100歳とおっしゃったおばあちゃん、別に来ていた3歳の男の子とツーショット記念撮影させてもらいました。
今回は私のブログの人たちにもお声掛けたら、何人も立ち寄っていただき、新しい世界が広がった思いがします。
とっても恥ずかしいのですが頂いた言葉の一端を載せさせていただきました。
名古屋の生徒さんが、東京のお友達にだされた私の展覧会の案内を見て、観に行かれた感想の返信を見せていただきました。とっても好意あるお言葉有難うございました。
「前略・・素晴らしい作品の数々を味あわせて頂きました。何度もグルグル会場をまわりました。(中略)葉拓はまず鬼蓮の葉の大きさと、美しい葉脈に感動、八犬伝の掛軸のその表装のデザインに見とれました。・・・」この女性の方は大学の農学部の教授だそうです。
もうひとつ・・・
「きょうは 銀座へ 夏秋さんの 葉拓の創作掛軸 に会いたくて とっても すてき いきいきと 輝く蓮の葉 夏秋さんが 吹き込んだ とわの命」
これは若い女性の庭師の方のブログに載せていただいたものです。来て頂いたのにあえませんでしたのでこのHPでお礼を申し上げます。(2006.4.12)

戻り橋 38 「洗山・夏秋展」報告

2006年3月28日から4月2日まで、東京銀座 鳩居堂3階画廊でおこなわれた3回目の「洗山・夏秋展」は1000人以上の方に来ていただき無事終了しました。お越しいただいた方には厚く御礼申し上げます。
藪田夏秋の作品はGalleryを見ていただくとして、会場の雰囲気をお伝えしたいと思います。
初日はちょうど桜がぱっと一斉に咲いたとき、最終日は散り初めという桜一色の東
京、肌寒い日はありましたが、雨も降らず華やかな季節の中、桜にも負けず劣らずの多くの女性がこられてとっても賑やかな会場風景が連日繰り返されました。

戻り橋 39 「なごみ6」と「かんたん表装入門」

淡交社発行の「なごみ」 6月号は「表具という仕事」特集です。
岡墨光堂三代目の岡岩太郎さんが解説しておられます。
岡さんは京都のど真ん中のお住まいです。先代のご主人の時何度か寄せてもらい、工房・・といっても蔵の中でしたが・・入れていただきました。また裏打紙の選別など教えていただきました。現在の当主には一度私の作品集をお持ちしてもらってもらった時にお会いしました。
京都で三代は老舗とはいえないでしょうが、される仕事は超一流で、優秀なお弟子さんも排出される押しも押されぬ日本一の表具師さんではないでしょうか。
内容は・・雑誌の性質が茶道ですから、とっても一般的で、わかりやすい記事となっています。
垂水李著「かんたん表装入門」(可成屋・木耳社)は女性の細やかさが随所にみられる、現代の生活に密着した表装の入門書です。初めての人のとっかっかりとしてはビジュアルで親しみやすい本となっています。
(綜藝舎でも取り扱っております)(2006.6.21)

さてこの「暮らしの手帖」夏号に「山と家を受け継いで」(ある日本人の暮らし)という題で、私の生徒さんが取り上げられています。
彼女は75歳で奈良の山奥に一人で暮らしています。今も毎日、持ち山に入り下枝を切ったり、雑草を抜いたりの生活なのに、とっても元気で、京都の私の元まで月二回、工芸を習いに来ます。
五右衛門風呂に入って窓から外を見ると、遠いヤマト盆地が見えるそうです。いつも来てくれと言われているので、一度は入りたいものです。
「先生、私車乗れなくなったら教室やめます」・・と言ってますがまだまだ大丈夫そうです。
最後に、教室で屏風を作っている姿の写真もありましたが、誌面の都合でかつあいされたそうです。ちょっと残念ですね。(2006.8.13)
戻り橋 40 暮らしの手帖

花森安治の「暮らしの手帖」は戦後日本の出版界でひときわ異彩をはなった家庭雑誌。昭和23年の創刊以来今日まで、広告をいれずに、暮らしのことを掲載してきた素敵な雑誌です。小さいとき、掲載されている書棚や椅子を作ろうと奮闘しました。まだ日曜大工店のない時代だったので、どれもうまく作れなかった記憶があります。
今、生活や暮しをテーマとした雑誌がつぎつぎと創刊され、ファッションやデザインを含めた新たなライフスタイルが若者の間で話題となっています。それらの誌面を飾る「スローライフ」「リサイクル」「エコ」「手作り」「リメイク」、あるいは最先端の「ロハス(Lifestyles Of Health And Sustainability)=ココロとカラダと地球にやさしいライフスタイル」といった言葉には、花森安治が雑誌でくり返し主張して来たメッセージが名を変えて出ているわけですから、その先見性は素晴らしいものがあります。

戻り橋 41 絵になる拓本のすすめ

日図デザイン博物館・日本図案家協会(http://nichizu.or.jp)から、このたびサブタイトル「記録からアートへ 伝統的技法による拓本と「拓」する技法によるアートへのご案内」というリーフレットが出しました。その中で「拓本の裏打」の解説と実技指導を担当しました。簡潔でわかりやすい、カラーの実技説明なのでよければお送りいたします。(4冊300円)

T、概説 U実技基礎 V石碑採拓 W裏打ち

                        (2006.10.9)

戻り橋 42 陶印

先月のある日、郵便物が届きました。送り主を見ると知らない名前です。住所は笠間市、「ハテナ?」と思いながら荷物を開けると、兎の絵の小さな箱、そして箱の中には陶器で作った兎さん、底を見ると印が彫ってあるではありませんか。同封の何枚かの紙に、素敵な印影が押してあります。私の雅号とうさぎがいます。なんと素敵な・・・。
そして手紙には「以前お約束していた印がやっと出来ましたのでお送りします。」と書いてあります。「だれだっけ」と思いながら、パソコンの住所録見ましたがありません。手帳を調べてもありません。名刺の束の中にもありません。もちろん頭の中は消しゴム状態。
ということで一週間その陶器の印章を目の前において眺めていました。それでも思い出せないのでギブアップ、とうとうお礼状をお送りすることにしました。
「素晴らしいものを頂いてありがとうございます。恥を忍んでお尋ねします。ところであなた様はどちら様?」
返事が来ました。「一昨年の春、そちらの知り合いの方とそちらの個展でお目に掛かって、三人が卯年だと盛り上がって、わたしが篆刻をやっているから印を送ります。とのお約束だったのです。でも陶印なので時間が掛かって今になってしまいました。」とのご返事。
その文を読んで、瞬時にその場面が蘇りました。そして再度失礼したことをお詫びしました。あのときは個展期間中多くのかたとお目に掛かって、テンションが上がって、失念したのでしょうね。若いときはこんなことって無かったと思います。今はメモとHPが忘備録。
さて茨城県笠間市は笠間焼で有名な陶芸の街です。なのでこの陶印は笠間焼です。
印章は普通硬い石に印刀で彫って作りますが陶印は土をこねて後彫って、焼きますのでとっても難しいのですが、兎が野原を駆けていて素敵なモノに仕上がっています。
ありがとうございました。次の作品に押すのが楽しみになりました。
なおもう一人の卯年の箱根の方、体調悪くしておられるとか、早く元気になってください。(2007.1.1)

京にも春が来ました。3月3日下鴨神社の「流し雛」、今年いただいた流し雛、厄をはらって来年このみたらし川に流します。

いよいよ二年ぶりの「ひょうほゑ展」京都アスニーで開催します。
150点ほどの作品が全国各地から集まりました。
今年は私が教えた生徒さんだけでなく、公募に近いものも出品され、バラエティーにとんだ作品が展示されるだろうと期待しています。

京都はこの時期、「伝統工芸の日」の行事が目白押しです。また旧暦のお雛様の展示が各美術館や博物館で展示されますので、ぜひ春の京都を満喫しながら、ここJR二条駅に近い京都アスニーにお立ち寄りください。(2007.3.6)

戻り橋 43 京の春