夏秋徒然草 40 「葵上」

第9回ひょうほゑ展に出品した作品です。本紙は父の所蔵の古い謡本をもとに作りました。

「葵上」は、源氏物語の葵の巻を世阿弥が能に仕立てたものです。シテは六条御息所の生霊で、題名の葵の上は出てきませんが、舞台に、霊に祟られ寝込んでいる姿を、一枚の小袖を置くこと(出し小袖)で表す素晴らしい舞台表現です。

六条御息所は賀茂の祭りの際、葵上から受けた侮辱に耐え切れず、生霊として葵上を苦しめます。薬石効なく、ついに修験者が呼ばれ祈祷が始まると、生霊は怒り、鬼の姿で現われますが、最後は法力によって浄化される場面で終わります。

本紙はシテが静々と現れる場面を動的にとらえました。バックには謡本の冒頭の言葉を入れました。作品を見ることで、能の音が頭の中に響けば成功です。
風帯は右は垂れ風帯、左は貼り風帯にしました。中にはこの物語のクライマックスの場面の言葉を入れています。「おもいしれ うれめしや・・・」
地の部分には般若の後シテがいます。
一文字や筋、風帯の縁は江戸期の古裂です。染むらを利用して、怨霊の凄まじさを表しました。(2007/4/15)

夏秋徒然草 39 「表具」と「壁画」

夏秋徒然草34で紹介した木村英輝さんがまたとてつもないことをやってのけました。
1月17日京都の中心、四条通にあるデパート藤井大丸の屋上から、金で縁取りした真っ赤な群象を描いた巨大な幕を掛けました。16m四方の作品です。
京都に2008年サミットを呼ぼうとボランティアでの仕業。

奥さんの苦労話:廃校になった小学校の講堂全面を使ってビニールシートに碁盤の目を下書きしたときは足がつってしまったそうです。お金にならないことばかりしている壁画家、奥さんの苦労は絶えません。(2007/3/6)
徒然草38でちょっといちゃもんつけた「美の壷」の番組が本になりました。さすが本となるときちっとしたすばらしいものができました。(2007/3/6)

「表具」 NHK「美の壷」制作班編 NHK出版 

夏秋徒然草 38 美の壺

NHKの「美の壺」という番組は「日曜美術館」の初心者版といったコンセプトで創られた番組です。4月からスタートしてすでに33回になりました。
谷啓の洒脱な司会も良く、おまけに「美の壺」という題字は紫舟さん。ふとしたことで知り合って、個展にも来ていただいた新進気鋭の女流書家なのです。
さて6月は「掛軸入門 表具」楽しく拝見しました。が気になるところが2点ありましたので記しておきます。

番組の中で床の間に掛けられた掛軸が異常です。まず写真でご覧のように、風帯がカールしていますね。これは掛軸を収納したとき、風帯を折って巻かないで、そのまま巻いたときおこる現象です。誰かが気がついて直すべきだったでしょうね。もう一つは修復の場面で、シュミレーションの掛軸の風帯の位置がおかしいのです。真ん中が開きすぎて不格好です。この写真はうまく撮れませんでした。番組全体は良くできているのにちょっとしたことで誤った情報が流れるとそれが正しいと思われ、後世に伝わることが恐ろしいと思います。細かいことですが日本の伝統を正しく伝える為にあえて記しておきます。(2007.1.1)

夏秋徒然草 37 プライスコレクション・若冲

10年前ある企業から掛軸仕立ての依頼がありました。あるアメリカのコレクターの持っている絵画をデジタル化したので、掛軸にしてもらえないかというものでした。洋紙に原寸でプリントされたもので、とってもやりにくかったのですが、納めることが出来ました。
けさ京都国立近代美術館でその原画、伊藤若冲筆「紫陽花双鶏図」(左の絵)と対面できて、感激ひとしおでした。
10年の年月はデジタル化ももっと進み、プリント技術も進んでいるでしょうが、掛軸は昔も今も変わらない技術で造られています。
これからはもっと本物に近い複製が造られるでしょうが、やはりほんものにはなれないでしょうね。
なお私の仕立てた掛軸(右の掛軸)はプライスさんの元に行ったそうです。(06.10.9)

夏秋徒然草 36 雅尚堂・小林弘二作品

30代、本格的に表具を始めた私は、何人かの方に教えて頂いたが、特に親切に指導いただいたのが 神田淡路町の雅尚堂・小林弘二さん、お会いできるきっかけを作って頂いたのが、天皇陛下に書道を進講された故桑原翠邦先生です。このたび桑原先生生誕100年を記念して、師匠の小林さんが表装展を5月にされましたが、寄せてもらえませんでした。ここに桑原先生の書を掛軸にされた作品集を紹介します。
小林さんの掛軸については、1982年に綜芸舎から「掛軸の作り方」としてまとめましたが、装丁が難しいので再版ができないでいます。
さてその特徴は京表具のむっくりしてはんなりとした仕上がりに対し、江戸表具のぱしっとした粋な仕上がりが特徴です。
近年はデザインの凝った掛軸を作られますが、特に翠邦先生とコラボレーションされた掛軸はなにか江戸下町のデザインが感じられ独特の世界が醸し出されています。
そして写真ように、できあがった掛軸に、直接翠邦先生が書を書かれます。その書は大先生に失礼だとは思いますが、とっても洒脱で掛軸に合っています。
(2006.8.13)

桑原翠邦生誕百年記念」(A4版 64頁 2500円 税・送料別途)をお求めになりたい方はご連絡ください。






夏秋徒然草 35 高松塚古墳壁画損傷

6月19日文化庁は高松塚損傷についてトップの4人の処分を発表しました。この方たちは現在も学会や美術界のトップにおられる方たちです。
これで一件落着したことになるのでしょうね。
高松塚古墳は1972年末永雅雄先生(私の恩師)によって作られた橿原考古学研究所の網干善教先生(こちらにもずいぶんお世話になりました)によって発見された日本屈指の壁画古墳、当時分解して別のところで保存するか、密閉するかで論議がありましたが、文化庁は密閉して保存しました。その後33年結果は明らかです。保存は大失敗でした。
愚かな人々が、いっぱいカビを入れたり、傷つけたり、おまけに隠してしまったのです。
私は掛軸や額、屏風の修復を頼まれます。中にはうまくゆかず、途中で中止して、どうしたらよいか悩みます。寝られないこともあります。
個人から預かった作品でも、大変な努力して元の姿に戻そうと頑張っています。多くの修復家も多分そうだと思います。
それなのに国の宝を痛めておいて、実際の当事者や上司は今どう思っていられるのでしょうか。ちょっと厳しい意見となりましたが、文化財を愛するが故の苦言となりました。写真は黒カビの出た壁画(2006.6.20)


夏秋徒然草 34 障壁画 木村英輝の世界

日本にロックを伝えた男(プロデュサー)として、音楽分野で有名な木村英輝さんが、還暦を境に、絵筆を取って障壁画家になりました。枠に入った絵が嫌い、画廊で個展するのが嫌いな彼の描く絵は確かに天井まで届く巨大な象であったり、犀であったりします。
その彼が青蓮院の襖に蓮を描いたことは2005年の8月に紹介しました。
ことし彼の画業をまとめた「生きる儘」(自然の成りゆき)が淡交社から出版され、その才能にまたまた感嘆しております。
さてその本の巻頭にある「鼎談」がとっても示唆に富む話がされていますので一端を紹介します。()内は私話。
一、青蓮院の襖絵にはアクリルガッシュのウルトラマリンが使われているが、日本画の群青を使ったら5000万円かかる、着物も本絹、本金にこだわるから高価になりすぎて現代に結びつきにくくなった。絵そのものが物まねでも、絵の具が天然であれば「本物」としてきたのが日本の美術であった。(掛軸も本絹本金使ったらべらぼうな値段になります)
二、美術の鑑賞の仕方は西洋と日本ではまったく違う。西洋は立って鑑賞する。そのため絵を掛ける高さは145〜155cmに中心を持ってくる。(襖や屏風、掛軸までそのようにして展示してしまいます)。
日本は座って見る。座れば判るが、畳を通して襖に繋がり、そして庭という空間まで広がる。
(床の間はほとんど窓の傍にあります。障子が開けてあれば庭が。閉めてあれば木々の影が映ります。そういう空間に掛かる掛軸を鑑賞する。それが本来の日本の美術鑑賞だったのです)。などなど。(内容に理解が足りない面やいい足らずな面があると思いますがご容赦ください。詳しくは本をお読みください)
鼎談者:木村英輝さんと伊東順二さん(長崎県美術館館長)と坂井直樹さん(著名なコンセプター)
なお本書の出版記念パーティーが京大西部講堂で過日行われました。ブログをご覧ください。http://d.hatena.ne.jp/kinrandonsu/

写真上:THE RIVER ORIENTAL 京都木屋町 壁画
写真中:青蓮院 京都東山 襖
写真下:亀屋伊織 京都中京 風呂先(アクリル)
       光が通ると模様が畳に映ります。


夏秋徒然草 33 横披  掛けられた巻物

文字が生まれた中国では記録は甲骨、金石から竹、木簡に書かれると巻かれて保存されます。素材が紙や絹になると、字以外に絵も描かれていきます。字は開きながら読み、巻き戻せばいいわけですが、絵は全体を見るわけですから開いたままです。書と絵の混じった絵巻物という形式も出来ますがそれは少数で、普通は絵のみで鑑賞します。また字も鑑賞する「書」になるとビジュアルとしてみるわけですから一目で見ようとします。石碑から発達した書はその形を踏襲して縦長になって、掛軸という形態で鑑賞されます。絵もそれに引きずられ、縦長の山水画が生まれてきます。でも中には横に長く書いた書や、絵もあったはずで、それを飾る形が横披(おうひ)といわれる、横長巻物風掛軸でした。
ところがこれが日本にないのです。日本の室内は壁が少なく、掛軸は床の間という狭い空間に掛けるようになりますと、横長の設置場所がとれなくて伝わりませんでした。それでどうしたかというと、扁額という形で、扉(障子や襖)のの空間を利用したわけです。
この幻の横披を20年前早稲大学の会津八一記念館で見て以来何時か作ってみようと思っていました。たまたま大阪の朝日カルチャーセンターの受講生が横長に書いた書作品をj軸に作りたいといわれて、それをきっかけに20年前の記憶を元に、その人の作品と私の持つ画像石拓本を作ってみました。古代中国のものとは違うかも判りませんが、壁に掛けることができました。(2006年3月「洗山・夏秋展」で展示)2006.4.12


夏秋徒然草 32 キトラ古墳の戌

戌の年で2年前の戌を思い出しました。それは2004年8月 明日香村阿部山のキトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)で文化庁は4日、西壁に描かれた獣頭人身の「戌(いぬ)」を壁面からはぎ取りに成功、非破壊を基本方針としてきた同古墳の壁画が初めて石室外に持ち出されたことです。
このキトラ古墳や高松塚古墳で活躍しているのがレーヨン紙であります。キトラ古墳の戌の剥がしでは、戌の表面をレーヨン紙で補強、レーヨン紙の上にガーゼとプラスチック板を張ってはぎ取りました。
 石室外に出した「戌」はレーヨン紙で裏打ちした後、エタノールを使って表打ちをはがしたそうです。
 (2004.8.5 奈良新聞より抜粋)
現在我が工房の修復から裏打まで活躍している養生紙=レーヨン紙は上記のように文化財修復には無くてはならないものになりました。初期からこのレーヨン紙に注目して、教室でも使用してきたことが正解だったと喜んでおります。
さてキトラ古墳の全体像はわかりかねますが、韓国の古代古墳を守る十二支と同様の役割をもって描かれたことは間違いなく、姿も韓国の拓本と同様のものだったと思われます。(2006.2.1)



夏秋徒然草 31 角屋と青貝の床の間


京都角屋は京都駅の真西、千本七条上がる島原にあります。地図的には東本願寺、西本願寺、島原と並びます。
秀吉によって花街が出来たのは天正17年(1589)二条の柳馬場だといわれています。その後何回かの移転で現地に落ちつきました寛永18年(1641)、時あたかも島原の乱、急な移転を引っ掛けて島原と呼称したそうです。
遊郭には揚屋と置屋がありますが、置屋(輪違屋が現存)は芸妓を抱えて、座敷に送り出す人材派遣会社で、揚屋は料亭として客をもてなす場所、クラブやレストランだったのです。角屋は1600年当初から続く由緒正しい重要文化財に指定されている建物です。
江戸文化の粋といわれた吉原は跡形もありませんが、京都の島原は今も太夫ともども連綿と続いています。
さてその江戸時代の文化がぎゅっと詰まった全て、特に表具に関係のある床の間や障子や襖、壁にいたるまで素晴らしいものですが、今回はその中でも一押しの床の間を紹介します。
利休の侘びさびとは対極のこの青貝の床の間を始めて見たときの衝撃は凄い物でした。床の間そのものが掛軸の表紙なのです。それもインド更紗ににた唐草模様、ここには作品だけ掛ければどんなに素晴らしいかと思いました。全体が煤で汚れていますので、建設当時はどんな色だったのでしょうか。なおこの壁、現在の技術では再建できないそうです。中央の床柱、新撰組が刀傷をつけたそうですが、壁に傷がつかなくて良かったです。天井は蒲筵、障子にはギヤマンがはめ込まれていて、外が歪んで見えます。その外には露台(バルコニー)、南方系のインテリア、エキステリアになっています。それ以外の部屋が、王朝風や江戸風なのでとってもエキセントリックな部屋です。(「資料「角屋案内記」中川徳右衛門著・長松株式会社発行)(2006.1.1)



夏秋徒然草 30 刷師

浮世絵はもちろん版画の範疇に入ります。江戸期の版画は絵師、彫師、摺師が一つの絵を完成させます。20数板に彫られた木(主に桜)にそれぞれの色を摺り込みますが、同じ版でも濃淡をつけて重ね摺りをすると200回にもわたって摺り込むわけです。それを色ずれ起こさないように寸分たがわず摺る枚数が何百枚となると、気が遠くなります。写真は知人の摺師の工房、座布団に座り、ちょっと向こうに傾斜した摺台で摺っていきます。必要なものは手を伸ばすだけで取れるように周りに置いてあります。
工房では主人と弟子3人が、朝から晩までもくもくと摺っていく姿はこれぞ職人!先日若き現代版画家を連れて行きましたが、見終わって工房を出たとたん感激で泣いてしまいました。表具もそうですが伝統工芸の世界、もっと多くの人に紹介して、理解され、伝わればと思いました。
最後に気になったのは、版画のもと、板を作る板師が東京、京都とも相次いで亡くなり、良い板が無くなりかけているということです。
板師の削る板は、けしてまねできないと言われています。大工や指物師が挑戦したのですが、見た目は素晴らしくツルツルに削られていても、一端水につけると、かすかですが凹凸が出てしまうそうです。美人画の女性の髪を見ても判るように、1センチに何十本もの線を入れるには、木がよっぽど良くなければなりません。いろいろな技術がある日フッと消えてしまう・・・何とかしたいものです。(2005.12.1)

夏秋徒然草 29 二美人図

山田敬之の肉筆浮世絵はホテルニューオータニの中にある美術館所蔵で、創業者の大谷米太郎の蒐集といわれています。ここに紹介したのは、掛軸を掛けるという珍しいシーンだったからです。絵から遊郭の居間なのでしょう、花魁が指図をしながら朋輩に掛けさせています。床の間には色紙、短冊が置かれて、机には漢籍か物語本が帙に入って置かれています。花魁は読書中と見えて和本が紐解かれています。国民の多くが識字出来なかった時代、書を読み、字を書き、歌を読み、美術に造詣が深かった、遊郭の花魁の姿を垣間見ることが出来ます。
掛軸は詩画軸と恩われ、随分派手な大和仕立に仕立てられています。風袋が反っているのはちょっと気になります。矢はずを使ってかけているのも面白いです。時代がはっきりしないのは残念です。
遊郭は一種の文化サロンでもありました。武士、町人わけ隔てなく入れたことはある面凄い平等ですね。
以前京都の七条にある角屋に参りましたが、贅を尽くした部屋部屋、当時としてはモダンインテリアの最先端だったのでしょうね。当時が偲ばれます。(2005.11.01)

夏秋徒然草 28 暁斎

河鍋暁斎は天保2年(1831)下総の国古河(千葉県)に生まれ明治22年(1889)59歳で亡くなりました。7歳のとき歌川国芳の門に入り、10歳のとき狩野派の前村洞和、その師の洞白に学びましたが、狩野派の画風におさまらず、「狂斎」と称し、浮世絵、戯画、額絵、行灯絵等、なんでもこなし、その画風領域を広げました。明治3年、狂画をとがめられて拘留され、以後、画号を暁斎と改名。その活動期は最晩年に及び、美人花鳥山水道釈等、浮世絵から狩野画風まで幅広く多数の絵を残しました。歌川国芳とともに日本近代絵画に多くの影響を与えた天才画家といえます。
さてこの絵は「一寸みなんしことしの新ぱん」と題された慶応三年(1867)の大判錦絵と呼ばれているものです。内容は高いもの尽くしで山は浅間山、天狗の鼻、行者の高下駄などが見る中で日本一高い富士山の張子を作っている絵、糊をつけ、紙をもって、口には刷毛をくわえている職人たちは、表具師に他ならない、顔は目鼻が無く、紙や茶、米と書かれています。一番てっぺんには物価の高い米や茶、裾のほうには安い玉子など、糊を練っているのはなんと給金、今のように当時も物価高に悩ませれていたのですね。この年坂本龍馬暗殺され、明治維新へと突っ込んでいたまさにその時代を描いた素晴らしい風刺画です。今の画家は花鳥風月や裸婦を描いてばっかし、暁斎を見習ってくれませんか。(財)河鍋暁斎記念美術館蔵。「国芳暁斎なんでもこいッ展だイ!」図録より(2005.9.1)



夏秋徒然草 27 青蓮院襖絵

京都東山の青蓮院は門跡寺院で、特に国宝の青不動で有名ですが、普段は楠の大木の奥の静かな寺院です。このお寺の白書院に今年一月、描かれたのが「青の幻想」と名づけられた襖絵です。庭に面した部屋には青蓮院にちなんだ青の蓮を描いた「青の幻想」、中の部屋(写真)は「生命賛歌」と名づけられ、トンボや蟹、蛙が戯れるえんじの蓮が描かれ、北の座敷は「極楽浄土」で蓮の間から赤や黄色の花が咲き乱れています。とっても現代的な作品です。しかし数百年のお寺の雰囲気を壊してはいません。アクリルでかかれた絵は日本画と違ったイメージを与えてくれます。新しい絵の具で描いた古寺、特に由緒ある門跡寺院の襖は例がないでしょう。これを描かれた木村英輝さんは京都市立美大図案科卒業ではありますが、60年代に日本最初のロックコンサートを開いたプロデューサーとして有名となり、その後60歳を目の前に、再び絵筆をとって、京都のあちこちに壁画を書き始められた異才の画家です。木村さんの奥様が私の表装教室に来ておられる縁で、紹介いたしました。等伯にしても宗達にしても、最初描かれた時、多分みんな目を瞠って観たに違いありません。ナンやこの絵はと思った人もいたでしょう。この絵のように。古いものを残すことも大切ですが、古いものに新しい息吹を与えることも時としては必要です。京都人はそれが上手な人種といえないでしょうか。私もそれを目指して頑張りたいと思います。(2005.8.1)

夏秋徒然草 26  新古糊

4月山陽新聞の記事で、新しい古糊の開発が成功したとのこと、驚きました。表装の糊に関する論文を多数発表しておられる東京文化財研究所の早川典子研究員が中心となり、岡山の薬品開発企業で、林原美術館も運営する林原グループとの共同開発ということです。文化財修復を手がける京都の表具師が太鼓判を押したとのこと。バイオの力での製品化ということで、伝統技術と現代科学が結びついた成果です。いままで季節や、炊き方、保存の仕方で品質が揃わなかった古糊が、誰にでも手軽に使える事は表装界の画期的な転換ではないでしょうか。林原に問合せしたところ製品化は1年後ということ期待大です。(2005.7.1) 

シニアになったおじさんが悪戦苦闘の末、やっとホームページを立ち上げました。 若いときから物を作るのが大好き人間でしたから、ホームページも物作りと思っ て何とか出来た次第です。自分の作品や頼まれた作品を表装するかたわら、東京 や大阪を中心に多くの人に掛軸や屏風の作り方を教えています。消えかけようと している技術を何とか残したく頑張っています。ご意見ご感想のメールお待ちし ています。次回から表装の話いろいろしていきます。(2000.7.7)

徒然草1〜25までは 「書庫・徒然草」に移動しました。クリックいただけるとご覧いただけます。
目次:25牛車 24葵祭競馬 23南方録 22唐紙と壁紙 21さぶ 20おさん茂平 19古糊 18裏打のすすめ 17つぼつぼ 16風帯 15垂直 14幽霊 13掛軸?? 12霞床席 11小屋 10時雨亭 9床の間 8双六 7床 6表装用の糊 5掛軸の形 4金銀糸 3大文字 2祇園祭 1オープン

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